形而上学
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形而上学(けいじじょうがく、: metaphysics)は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟認識しようとする学問ないし哲学の一分野[1][注釈 1][注釈 2]世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超越したものについて考える[2]。対する用語は唯物論[1]。他に、実証主義不可知論の立場から見て、客観的実在やその認識可能性を認める立場[1]や、ヘーゲルマルクス主義の立場から見て弁証法を用いない形式的な思考方法[1]

形而上学は、PubMedにおいては、哲学の一分野で、存在の性質(オントロジー)と宇宙の起源と構造(宇宙論)を含む第1原理を取り扱うものとしている。
概要

形而上学は、哲学伝統的領域の一つとして位置づけられる研究で、歴史的にはアリストテレスが「第一哲学」(: ? πρ?τη Φιλοσοφ?α)と呼んだ学問(そして、それに関する著作がまとめられた『形而上学』という書物)に起源を有し、「第二哲学」は自然哲学、今日でいうところの自然科学を指していた。

形而上学における主題の中でも最も中心的な主題に存在(existence)の概念があるが、これは、アリストテレスが、第二哲学である自然哲学を個々の具体的な存在者についての原因を解明するものであるのに対し、第一哲学を存在全般の究極的な原因である普遍的な原理を解明するものであるとしたことに由来する。そして存在をめぐる四つの意味を検討してから存在の研究は実体(substance)の研究であると見なして考察した。アリストテレスの研究成果は中世のスコラ哲学における普遍論争の議論へと引き継がれることになる。近代になるとデカルトはあらゆる存在を神の存在によって基礎付けてきた中世の哲学を抜本的に見直し、あらゆる存在証明の論拠を神の自明な存在から、思推している人間の精神に置き換えて従来の形而上学を基礎付け直そうとした。このような近代的な考え方はバークリー独我論的な存在論にも認めることができる。バークリーは存在することとは知覚されることであるという原理を示し、唯一確かな実体とは自らの知覚だけだと主張する。ハイデッガーの研究は存在が成立する上で不可欠な条件を明確化し、その条件とは自己が存在しなくなるを問いかけながら自己から脱出(脱自)する自由な存在の在り方をしていることだと論じた。

形而上学では、存在論の他に、精神自由の概念等が伝統的な主題とされ、精神物質もしくはのような抽象的な事柄が存在するか、また人間という存在は複雑に組み立てられた物質的な体系として定義できるかどうか、などが問われてきた。

形而上学の研究には心理学的、宇宙論的、存在論的、神学的な関心に基づいた研究もあるにもかかわらず、形而上学は哲学的方法に基づいた研究であり、物理学心理学生物学といった科学的方法に基づいた自然諸科学や、特定の聖典や教義に基づいた神学と区別される。
歴史
古代アリストテレス

歴史の中で、形而上学的な問題の研究であれば、古代ギリシアに遡ることができる[3]ソクラテス以前の哲学者と呼ばれる古代ギリシアの哲学者は、万物の根源を神でなく、人によってその内実は異なるにせよ何らかの「原理」(アルケー)に求めたのであって、哲学はもともと形而上学的なものであったともいえる。

ソクラテスプラトンも、現象の背後にある真因や真実在、「ただ一つの相」を探求した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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