強制的同一化
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草案は1939年4月に完成したものの、ヒトラーは承認せず、成立しなかった[29]
治安機関

ヴァイマル共和政時代の警察は各州のものであり、強力な全国的組織は存在しなかった。しかし全土の3分の2を占めるプロイセン州の警察管轄権を手に入れたゲーリングにより、警察権力の再編成が開始された。ゲーリングは警察幹部を突撃隊親衛隊の幹部と入れ替え、警察を掌握した。4月26日、プロイセン州警察の政治警察部門は新たに州警察秘密局(Geheime Staatspolizeiamt)に変更され、州警察でありながら州内相直轄の組織となった。この組織は国家の存立及び安全に対する闘争を目的として作られたものであり、郵便略号から「ゲシュタポ」の名で呼ばれる。ナチ党による地方の掌握が進むと同様の組織が各州にも作られた。

1934年になると、警察組織の一元化が進んだ。親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは1月までにプロイセン州以外の政治警察長官に、4月10日にはプロイセン州秘密警察局の長官代理となり、事実上、全土の秘密警察のトップとなった。1936年2月10日にはゲシュタポは全州の秘密警察の監督権を手に入れた。6月17日には内務省内にすべての警察を支配する警察長官が設置され、ヒムラーが就任された。これにより警察組織の統一が実現した。ヒムラーは警察を秩序警察保安警察に再編し、警察権力の強化に当たった。
国民啓蒙・宣伝省宣伝省による焚書のデモンストレーション

宣伝省は「政府の政策及び祖国ドイツの国民的再建に関する民族への啓蒙と宣伝」を目的とする省庁として、1933年3月13日に設立された[4]。この宣伝省が最初に行った大イベントが、3月21日の「民族高揚の日」と名付けられた国会開会記念式典である。この式典はプロイセン以来のドイツの伝統を反映させた壮麗なものであり、多くの保守的な国民の心をつかんだ。この日は後にポツダムの日(de)と呼ばれるようになる。ナチス・ドイツ時代を通じて宣伝省は、「総統誕生日」や「ナチ党党大会」などの大小のイベントを次々と行い、国家社会主義運動が生み出す興奮と感動を体感させようとした[30]

ヒトラーは『我が闘争』の中で「国家はいわゆる『新聞の自由』という法螺話に惑わされることなく、断固として民族教育のこの手段を確保し、国家と国民に奉仕させねばならない」と述べているが[4]、この「民族教育の手段」と見なされたものには出版、ラジオ、映画、演劇、芸術なども含まれた。宣伝省とその傘下の帝国文化院(de)はこれらに介入し、あるべき「民族教育」のために検閲や指導を行った。その始まりとして知られるのが、宣伝省主催による1933年5月の「反ドイツ的な書物」の焚書デモンストレーションである。

さらに帝国造形芸術院によって行われた、民族にとって有益な芸術の『大ドイツ芸術展』、害となる芸術の『退廃芸術展』、『退廃音楽展』などのキャンペーンもよく知られている。1939年の第二次世界大戦勃発後は「一言一句すべて虚偽である」外国放送の聴取自体が罪となった[31]
経済

経済面においては1934年2月27日にドイツ経済有機的構成準備法(Gesetz zur Vorbereitung des organischen Aufbaus der deutschen Wirtschaft)が制定され、11月にその施行令が発出された。この法律により農業を除くドイツの全経済分野は工業・商業・手工業・エネルギー産業・銀行・保険業・交通の7部門に分けられ、それぞれの「全国集団(Reichsgruppe)」によって統括された。このうち手工業と交通の集団は業種別の全国イヌング(Innung、工業会議所)団体により、その他は「経済集団」(Wirtschaftsgruppe)、専門集団(Fachgruppe)、専門下部集団(Fachuntergruppe)の階層構造からなる単位組織で構成された。また地域別集団が地域集団(Bezirksgruppe)も組織された。7つの全国集団のうち最大の集団は全国工業集団であり、7つの主要集団(Hauptgruppe)に分けられていた[32]。全ての私企業はこの集団に強制加入させられた。

この企業組織自体はヴァイマル共和政時代にあった組織と特に大きな違いはない[33]。しかし一方で指導者原理に基づき各集団のトップに経済大臣によって任命される指導者(Leiter)が置かれた。経済界の自治は認められたものの、「公益は私益に優先する」(Gemeinnutz geht vor Eigennutz)等のナチズム実践が求められた[34]

さらに1937年からは「経済の脱ユダヤ化」(Entjudung der Wirtschaft)政策が加速し始めた。ユダヤ人が経営に参画している企業・商店は「ユダヤ経営」として扱われ、「アーリア化」が行われた。ユダヤ人は解雇され、ユダヤ経営とされた会社・商店は清算、閉鎖、譲渡を余儀なくされた。1938年のうちにユダヤ経営の大半はドイツから姿を消し[35]、ユダヤ人の9割が経済基盤を失った。このためこの年はヴォルフガング・ヴィッパーマン(de)によって「ドイツユダヤ人の財政の死」と表現されている[36]
国民生活歓喜力行団のスポーツクラブ

ハンナ・アーレントが、全体主義支配の体制にとって最も重要なものは「共同社会の完全なる瓦解による個人化とアトム化」が必要であると指摘したように、強制的同一化は国民達を結びつけていた小さなグループやクラブにまで及んだ[37]。既存の団体はフライコール(ドイツ義勇軍)や医師協会、街のコーラスグループにいたるまで解体され、ナチ党の支配下の組織へと再編成された。

また、各地労働組合も1933年5月1日の「国民労働の日」と題した「政府と労働者の統合の祝日」の翌日に解散させられた。かわりに労働者はドイツ労働戦線に加入することが義務づけられた。労働戦線においては成人のための「国家社会主義教育」が行われた。すなわち、これまでドイツの統一を阻んできた「マルクス主義自由主義フリーメイソン、ユダヤ・キリスト教」の教説を抹殺し、階級や身分意識を取り払い、「ドイツ民族たる自覚」を頭の中にたたき込むことである[38]。また、冬季救済事業(de)とよばれる義務的な寄付活動が、民族一人一人が民族共同体への貢献意識をもつための教育活動として行われた[39]。そして労働戦線の下部組織、歓喜力行団は従来であれば同席することもなかった人々を同じ席に座らせ、ダンスや音楽会、憩いの夕べといった娯楽を提供した。これにより人々は階級を超えたつながりをはじめて持つことが出来た。これらを実際に体験したクラウス・ヒルデブラント(en)は「階級間の区別を打ち壊した」と評している[40]
青少年教育ヒトラーユーゲント詳細は「ナチス・ドイツの青少年教育」を参照

青少年教育に関しては、1938年12月8日、ライヒェンベルク[要曖昧さ回避]における管区指導者(クライスライター)との会合において、ヒトラーが述べた次のような言葉が端的に現している。「少年少女は10歳でわれわれの組織に入り、そこではじめて新鮮な空気を吸う。その4年後、ユングフォルク(de:Deutsches Jungvolk)からヒトラーユーゲントにやってくると再びわれわれは彼らを4年間そこに入れて教育する。(中略)われわれは彼らを直ちにSA(突撃隊)、SS(親衛隊)、ナチス自動車隊等に入れるのだ。」そこで完全なナチス主義者にならない場合には国家労働奉仕団国防軍に送り込んで「治療」する。「そうすれば彼らは一生涯もはや自由ではなくなるのだ。」[41]

これまでの民間青少年団体は解散させられ、ナチ党の団体のみに統一された。学校内部にもナチ党の指導が及ぶようになり、1936年12月1日にはヒトラーユーゲント法が成立し、ヒトラーユーゲントは学校・家庭と並ぶ教育機関であると位置づけられた。

青少年の民族教育は党によって、「われわれが欲するままの人間へと」[42]、「自分自身のために過ごすことのできる時期があるなどとは、誰にも言わせはしない。」[41] ように絶え間なく行われた。また、家庭でも民族教育が行われることが強制され、それを怠った場合には処罰や子供からの損害賠償請求の対象となった[43]
血統ゲッベルスと子供達。1937年

ナチズムにとって民族共同体を汚すと考えられたものが、優良な民族に対する「種的変質者」や「劣等民族」との混血であった。このうち前者には再犯の蓋然性が見られると判定された、精神障害者を含む「常習犯罪者」・同性愛者をふくむ「道徳犯罪者」・「少年犯罪者」などの「質的犯罪者」、大酒飲みや売春婦のような不道徳な生活を送る者、精神・身体の障害者、遺伝病保持者などが含まれる。これらの「種的変質者」は「劣等な子孫を残すこと」も民族共同体への害になるとして、裁判や断種法に基づく不妊手術や死などの処分が取られた[44]。障害者に対するものとしてはT4作戦が知られている。

また劣等民族のうちドイツ民族と「正反対の人種」であるユダヤ人への迫害は政権獲得以後急速に進んだ。1933年3月26日には突撃隊によるユダヤ人商店のボイコットが全国的に行われた。この行動は今まで反ユダヤ主義の見られなかった地域でも、ユダヤ人に対する迫害が始まるきっかけとなった[45]。4月7日にユダヤ人を含む非アーリア人は公職から追放された。さらに対象は弁護士、医師、農民にまで及んだ。さらにドイツ民族との結婚は1935年のニュルンベルク法で禁止された。


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