日本の歴史上で代表的な強制改宗は、戦国時代から江戸時代を経て、明治時代に至るまで行われた。キリシタン大名による領民に対してのキリスト教への強制改宗やキリスト教徒やキリシタンに対する強制改宗である。これには、フィリピンを拠点にしていたスペインの宣教師たちがキリスト教を広めるために日本を武力で制圧することを企てていたこと[5]や、日本との貿易で収益を得ようとしたイギリス・オランダが江戸幕府に「スペインなどがキリスト教を広めて日本を征服しようとしている」と密告したこと[6]が背景にある。仏教と神道およびその信者が組織的・計画的に行ったものではない。
当初キリシタンには、信仰を保持したまま日本に残留することは表向きは許されなかったが、生命と信仰とを保持することを望んだキリシタン大名の高山右近や内藤如安などの人々は国外追放を選んだ。また、当初は緩やかな取締りであり、「信仰者のみが信仰するのは構わないが、布教は禁止する」や「公の場での公言は禁止する」という程度であったが、多くのキリシタンが組した大坂の陣、大規模なキリシタン内乱である島原の乱以降はキリシタンへの警戒が最大級に強まったこともあって、江戸幕府は「死か改宗か」という選択の上での強制改宗を行った。結果としてクリストヴァン・フェレイラやジュゼッペ・キアラをはじめ多くのキリスト教徒やキリシタンは棄教し、棄教に応じなかった少数は死刑に処された。とはいえ一部の隠れキリシタンは偽装棄教によって、1874年(明治6年)にキリスト教が解禁されるまで信仰を保持した。
日本での対象はキリスト教だけに限ったことではない。古来よりカルト的な宗教(常世神信仰)や呪術を伴うもの(呪禁道
、「彼の法」集団(のち立川流と混同された)、玄旨帰命壇など)、旧来の仏教に対して起こった仏教新宗派(浄土宗、浄土真宗)などが弾圧の対象になってきた。そもそも仏教が日本に伝わった際も、「新しい宗教」である仏教に対しての弾圧があり、仏教浸透後においても例えば日蓮宗のうち不受不施(法華経信者以外から施しをうけず、僧が法華経信者以外に施しをしない)を唱える僧または宗派(不受不施派)は江戸幕府から禁教とされ、強制改宗をさせられた。しかし、信者の中には表向きは他宗派に改宗したが、禁教の中でも法華経信仰を守ったものもいる。また、地域によっては、一向宗(浄土真宗)など既存大手の仏教宗派を禁じたところもある。