強制改宗
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このような改宗はエジプトのコプト教徒に対してもなされている[3]。2006年にはニュージーランド人とアメリカ人のジャーナリストがガザで拉致され、イスラム教に改宗するように銃で脅される事件が起きた[4]
日本における強制改宗

日本の歴史上で代表的な強制改宗は、戦国時代から江戸時代を経て、明治時代に至るまで行われた。キリシタン大名による領民に対してのキリスト教への強制改宗やキリスト教徒やキリシタンに対する強制改宗である。これには、フィリピンを拠点にしていたスペインの宣教師たちがキリスト教を広めるために日本を武力で制圧することを企てていたこと[5]や、日本との貿易で収益を得ようとしたイギリスオランダ江戸幕府に「スペインなどがキリスト教を広めて日本を征服しようとしている」と密告したこと[6]が背景にある。仏教と神道およびその信者が組織的・計画的に行ったものではない。

当初キリシタンには、信仰を保持したまま日本に残留することは表向きは許されなかったが、生命と信仰とを保持することを望んだキリシタン大名の高山右近内藤如安などの人々は国外追放を選んだ。また、当初は緩やかな取締りであり、「信仰者のみが信仰するのは構わないが、布教は禁止する」や「公の場での公言は禁止する」という程度であったが、多くのキリシタンが組した大坂の陣、大規模なキリシタン内乱である島原の乱以降はキリシタンへの警戒が最大級に強まったこともあって、江戸幕府は「死か改宗か」という選択の上での強制改宗を行った。結果としてクリストヴァン・フェレイラジュゼッペ・キアラをはじめ多くのキリスト教徒やキリシタンは棄教し、棄教に応じなかった少数は死刑に処された。とはいえ一部の隠れキリシタン偽装棄教によって、1874年(明治6年)にキリスト教が解禁されるまで信仰を保持した。

日本での対象はキリスト教だけに限ったことではない。古来よりカルト的な宗教(常世神信仰)や呪術を伴うもの(呪禁道、「彼の法」集団(のち立川流と混同された)、玄旨帰命壇など)、旧来の仏教に対して起こった仏教新宗派(浄土宗浄土真宗)などが弾圧の対象になってきた。そもそも仏教が日本に伝わった際も、「新しい宗教」である仏教に対しての弾圧があり、仏教浸透後においても例えば日蓮宗のうち不受不施(法華経信者以外から施しをうけず、僧が法華経信者以外に施しをしない)を唱える僧または宗派(不受不施派)は江戸幕府から禁教とされ、強制改宗をさせられた。しかし、信者の中には表向きは他宗派に改宗したが、禁教の中でも法華経信仰を守ったものもいる。また、地域によっては、一向宗浄土真宗)など既存大手の仏教宗派を禁じたところもある。

日本国内の関連項目

隠し念仏

隠れ念仏

隠れキリシタン

不受不施派

宗門改

五榜の掲示

外道

日本国憲法第19条

日本国憲法第20条


出典・脚注^ 『前嶋信次著作選 2 イスラムとヨーロッパ』254ページ
^USCIRF Annual Report 2013 - Countries of Particular Concern: Pakistan, UNCHR
^Christian minority under pressure in Egypt, BBC
^ Kidnapped Fox journalists released, CNN
^新しい歴史教科書扶桑社、2005年版、96ページ
^ 『新しい歴史教科書』扶桑社、2005年版、104ページ

関連項目

宗教的迫害

キリスト教徒による宗教的迫害


マラーノ

スペイン異端審問

ズィンミー

イスラム教における棄教

イスラム教と他宗教との関係

偽装棄教

コーランか剣か

邪宗門


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