張?
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^ 『魏略』によると、司馬懿が張?に追撃するように命じたが、張?は「軍法にも敵を囲む際には必ず一方を開けよとある。撤退する軍を追撃してはならない」と反発した。しかし司馬懿は聞き容れず、止むを得ず出撃した張?は、蜀軍の伏兵の攻撃に遇い、敵の射撃を受ける中で矢が髀に当たって死去したという。
^ 『太平御覧』巻291に引く『漢表伝』によれば、蜀軍は樹木の木肌を削って「張?此の樹下に死せん」と大書し、その両側に強弩数千を伏せておいた。追撃軍がこの樹を見つけて不審に思い、張?自ら上記の文章を読んだ途端、弩兵が一斉射撃し張?を射殺したという。ただし、この内容は『史記』孫?伝で、孫??涓を誘殺した際と全く同じものであり、物語を引き立たせるために過去の故事を引き写した可能性が高い。参照、渡邊義浩『諸葛亮像の変遷』p15(『大東文化大学漢学会誌』37,1998年) ⇒[1]
^ 諸葛亮伝が注引く『漢晋春秋』によると曹真に代わって、魏軍の総司令官となっていた司馬懿が戦おうとせず、張?は、大軍を率いているのにこれでは民の失望を買うと攻撃を進言したが司馬懿によって却下された。司馬懿は諸将から蜀軍を虎のように恐れていると笑われたことを病み、司馬懿はついに諸葛亮の軍を、張?が王平の軍を攻撃したが、これを撃退され、司馬懿は大破されて甲首三千を失い陣を保持するために軍を引いた。
^ 南宋の胡三省によれば、司馬懿は張?が自分より活躍することを恐れて妨害した。
^ 吉川英治『三国志(四)』講談社<吉川英治歴史時代文庫36>、1989年4月11日第1刷発行、167頁。
^ 吉川英治『三国志(五)』講談社<吉川英治歴史時代文庫37>、1989年4月11日第1刷発行、43頁。
^ 吉川英治『三国志(八)』講談社<吉川英治歴史時代文庫40>、1989年5月15日第1刷発行、254頁。

関連項目

五将軍










陳寿撰 『三国志』 に立伝されている人物および四夷

(魏書)

巻1 武帝紀

太祖武皇帝曹操

巻2 文帝紀

文皇帝曹丕

巻3 明帝紀

明皇帝曹叡

巻4 三少帝紀

斉王曹芳

高貴郷公曹髦

陳留王曹奐

巻5 后妃伝

武宣卞皇后

文昭甄皇后

文徳郭皇后

明悼毛皇后

明元郭皇后

巻6 董二袁劉伝

董卓

李?




袁紹

袁譚

袁尚


袁術

劉表

巻7 呂布臧洪伝

呂布

張?

陳登


臧洪

陳容


巻8 二公孫陶四張伝

公孫?

公孫度

公孫康

公孫恭

公孫淵


陶謙

張楊

張燕

張?

張魯

巻9 諸夏侯曹伝

夏侯惇

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史渙


夏侯淵

曹仁

曹純


曹洪

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曹爽

曹羲

曹訓

何晏

ケ?

丁謐

畢軌

李勝

桓範


夏侯尚

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巻10 荀ケ荀攸賈?伝

荀ケ

荀ツ

荀?(中国語版)

荀?(中国語版)


荀攸

賈?

巻11 袁張涼国田王?管伝

袁渙

張範

張承


涼茂

国淵

田疇

王修

?原

管寧

王烈

張?(中国語版)

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巻12 崔毛徐何?鮑司馬伝

崔?

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巻13 鍾?華?王朗伝

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鍾毓


華?

王朗

王粛

孫叔然


巻14 程郭董劉?劉伝

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程暁


郭嘉

董昭

劉曄

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劉放

孫資


巻15 劉司馬梁張温賈伝

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張既

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倉慈

巻17 張楽于張徐伝

張遼

楽進

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張?

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李典

李通

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典韋

?徳

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任城王曹彰

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