1997年には『キープ・クール』を監督。1999年の『あの子を探して』で自身二度目となるヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を、文化大革命を背景としチャン・ツィイーの映画デビュー作となった同年の『初恋のきた道』は翌2000年の第50回ベルリン国際映画祭で審査員グランプリを受賞した。なお、同映画祭の審査員長はコン・リーが務めた。
2000年、ジャコモ・プッチーニのオペラ『トゥーランドット』の演出を担当。同作はフィレンツェ歌劇場のプロダクションにより、北京の紫禁城で野外上演も行われた[12]。同年、『至福のとき』を監督。2002年、第13回福岡アジア文化賞大賞を受賞。同年、自身初の武術映画となった『HERO』を発表。翌2003年の第53回ベルリン国際映画祭でアルフレッド・バウアー賞を受賞。2004年、再び武術映画である『LOVERS』を監督した。同年、ギリシャでの2004年アテネオリンピックの閉会式で行われた2008年北京オリンピックへの引き継ぎ式の総監督を務めた[13][14][15]。
2005年、『単騎、千里を走る。』を高倉健を主演に迎えて製作。文化大革命後に中国で初めて公開された外国映画である日本の佐藤純彌監督作品『君よ憤怒の河を渉れ』で中国人から高い人気[16]を得ていた高倉を敬愛する張が熱心にオファーした結果、高倉の出演が実現した。2006年、10年ぶりにコン・リーを主演に迎えて大作時代劇『王妃の紋章』を監督。
2008年北京オリンピックの開会式および閉会式の総監督を行った。スティーヴン・スピルバーグが芸術顧問を辞任するなど国際的に物議を醸した北京五輪で演出を担当したことは「中国のレニ・リーフェンシュタール」との批判も一部で起きた[17]。2009年にはコーエン兄弟の『ブラッド・シンプル』(1984年)を時代劇風にリメイクした『女と銃と荒野の麺屋』を、2010年には文化大革命を題材とした3度目の映画『サンザシの樹の下で』を監督した。
2011年、中国映画史上最高額となる6億元(約78億円)の製作費を投じて南京事件を描いた『金陵十三釵(原題)』を発表。同年の中国年間第1位となる約71億円の興行収入を記録し[18]、中国社会に大きな影響を与えた[19]。同作は第69回ゴールデングローブ賞の外国語映画賞にノミネートされ[20]、第84回アカデミー賞外国語映画賞の中国代表作品にも選出され[21]、受賞の可能性も取り沙汰されるも主演のクリスチャン・ベールが軟禁状態にある陳光誠を訪問しようとして中国当局とトラブルを起こしたことで立ち消えとなった[22]。アメリカの批評家からは酷評されたが[23]、これに対して、ある作品に対して様々な評価があるのは当然とした上で、西洋人は南京大虐殺に対する理解が低すぎると語った[24]。