張本勲
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2007年、民間人に与えられる韓国最高の勲章である国民勲章第1等の「無窮花章」が授与された[3][82][83]。韓国プロ野球創設の際の組織作り・人材派遣などの支援等、日韓のスポーツ界並びに在日韓国人社会の発展に貢献した功績によるものだった[7]。「無窮花章」は日本の勲一等にあたる[82]。日本のスポーツ選手として、韓国の勲章を受けた唯一の人物となる。

韓国の野球発展にも多大な功績を残し[2]、1982年から始まった韓国プロ野球は、李容一初代事務総長、李虎憲同次長、張本の3人で立ち上げたものという[84]。張本は「わたしにとって日本プロ野球は『育ての親』、逆に韓国プロ野球にとってわたしは『生みの親』になる」と語っている[84]

2021年11月28日放送の『サンデーモーニング』のスポーツコーナー『ご意見番』で、同コーナーを年内で卒業すると発表した[85]。張本本人は老後をゆっくり過ごしたいという趣旨の説明を行い、23年間夏休みも取れないほど働き続けたとアピールした。また、今後ゲスト出演の形では活動を続ける意向を示した[86]
選手としての特徴
打撃

バットを高く構えて捕手寄りに倒して始動し、水平に振り抜く独特の打法から、右へ左へと自在にボールを打ち分けた[87]。このため上記の「安打製造機」のほか、「広角打法[88]、「スプレー打法」、「扇打法」という代名詞でも知られた[89]。ただし、本塁打の打球方向は8割近くがライト方向であり、長打を狙う際は引っ張り打ちだった。[要出典]

パ・リーグ事務局長の村田繁は張本について、「広角打法の最高峰を極めた打撃王であると認定していい」と評している[90]。通算RCWIN傑出度では王貞治に次ぐ歴代2位の数値を記録するなど、打撃面においては歴代屈指の成績を残した。猛打賞も歴代1位の251回を記録している。

東映入団1年目から20年連続シーズン100安打以上を放っており、打率3割以上を16回記録した。走塁面においては、1963年に41盗塁広瀬叔功の45に次ぐ2位)したのを筆頭に、通算で319盗塁を記録している。通算500本塁打以上かつ通算300盗塁以上を記録しているのは張本のみである。

現役時代は多くのシーズンで首位打者以外のタイトル争いにも絡み、毎年打撃部門で上位に位置していたが、本塁打王と打点王のタイトルは1度も獲得できなかった。通算1676打点は、打点王のタイトルを獲得していない選手の中では史上最多である。また、1500打点を2368試合目で迎えたが、これは2012年に金本知憲が2501試合目で1500打点をとるまでは一番遅い試合数での達成記録だった[91]

打席に立っている際、一塁走者が盗塁すると激怒した[92]。一塁に走者がいる場合、一塁手が一塁に張り付いた状態になるため一・二塁間が広くなり、安打が出る確率が高くなるからだと落合博満は述べている[93]

現役時代に打撃のコツについて教えを乞いに行ったことがある[94]。その相手は当時近鉄に在籍していたジャック・ブルームで、張本はブルームの外角打ちの上手さに感心し、外角打ちのコツを聞きに行った。それに対してブルームは、「外角を打つにはまず内角打ちが上手くなければいけない。それは、外角に的を絞っているときに内角にストレートが来ると絶対に手が出ないからだ。相手投手は、こっちが内角打ちが上手いと、内角に投げるのを嫌がって外角に投げてくる。そこを狙い打つのだ」と回答。その後、張本は首位打者の常連となっている。

また、張本はブルームからセーフティーバントのコツも教わった。それは「バックスイングをしてバントなんてしないように見せろ」というものだった[95]。これにより、張本自身の述懐によると21回試みたセーフティーバントのうち20回を成功させたという[95]。1970年に当時のシーズン最高打率記録を樹立した際にも、最後の打席でセーフティーバントを決めている。しかし当時のマスコミから「本塁打も打てる打者がなぜバントで打率を稼ごうとするのか」という批判を受けて、多用はしなかった。そのことについて張本は、2003年のインタビューで「なぜこれ(セーフティーバント)を多用して4割打たなかったのかなぁと後悔してるんです」と述べている[96][95]。なお、張本はこの時点では犠打を記録したことは一度もないなど、バントで打率を稼ぐということは全くしておらず、この批評は完全な風評被害であった[注 12]。張本自身も「本塁打を打てる打者はセーフティバントしなくてもいい」と考えており、2021年にメジャーで本塁打王争いをしていた大谷翔平がセーフティバントをしたことに苦言を呈した[97]

バントの上手さについては王貞治からも認められており[98]、2003年のキャンプでは川ア宗則にセーフティーバントの指導をした。川崎は後年に「張本さんといえば『豪打』のイメージでしたが、あれでセーフティーバントの確率がぐっと上がった。僕のヒットの何本も、張本さんのおかげで打てたようなものです」と語っている[98]

打撃のコツについては、後年、バッターボックスでの構えについて「雨の日の立ち小便」(リラックスしながら腰を落とす)のように構えるとよい、と語ったこともある。現役時代、天才または運と呼ばれたことに対して、「ある日突然バッティングの才能が目覚めるなんてことは絶対ない。半狂乱になってバットを振って振って振りまくった人だけに打撃の極意というものは見えるんです」と語っている[99]。キャンプなどでも張本は布団の横にバットを置いていて、夜もたびたび起き上がって素振りをしていたという。山崎正之は張本とキャンプで相部屋になった際に、張本が毎夜寝ている自分の数十センチ上で素振りを繰り返すため、寝るに寝られず睡眠不足になり、「あれほど不気味な風の音を聞いたことはない」と振り返っている。

張本自身は、本人曰く「張本シフト」として外野2人、内野5人の右寄りのシフトを敷かれていたことがあり、これは「王シフトよりも前だ」として(当時は人気の無かったパ・リーグだったので話題にならなかったとしている)、「これをセ・リーグのスコアラーが見て王シフトのヒントにしたのではないか」と述べている[100]
守備

主に打撃への負担が比較的少ない左翼を守った。打撃や走塁においては傑出した成績を残した張本だったが、守備は得意ではなく、とりわけ守備力が低下した巨人時代にはファンから「守っても安打製造機(=稚拙な守備により相手の安打を量産させている)」と揶揄されるほどお粗末なプレーが目立った。幼少時のヤケドの影響と高校時代の左肩の故障という二重苦により、現役中は一貫して思うような守備ができなかったという。右手を完全に開くことができなかったため、特注のグラブで守備を行っていた。

このようなハンディがありながらも、守備率を示すRF(刺殺+補殺+失策)÷試合数の数値では、1964?1967年(24歳?27歳時)に4年連続で2点以上(これは平均以上の数値であり、2.5を越えれば一流と言われる)を記録し、1959年(19歳時)の1.41から大幅に上昇させている[101]。また1966年には土井正博に次ぐリーグ2位の11補殺を記録している。

ただし、1975年にパ・リーグで導入されたDH制のため1年間守備が免除された後、巨人に移籍し左翼の守備に返り咲いた翌年の1976年以降は、守備力の衰えが顕著になる。例えば1966年(26歳時)には、外野部門(100試合以上出場)でRFが2.08(3位)、刺殺数233(4位)、補殺11(2位)、エラー1(2位)と高い数値を記録していたにもかかわらず、巨人に移籍した1976年(36歳時)にはRFが1.37(12位)、刺殺数167(9位)、補殺4(8位)、エラー7(13位)と、数値が大幅に下落している[101]

阪神との1962年の日本シリーズ第7戦(1点リードから同点に追い付かれた)では、10回裏にベンチに下げられ、その後の12回裏に日本一決定の瞬間を迎えるという経験をしている[注 13]。巨人時代には、レフトにライナーやゴロが飛ぶと、遊撃手の河埜和正がカバーに入ることが多かった。リードして迎えた試合終盤には、守備固め二宮至と交代させられることが何度もあった。長嶋監督に失策の理由を聞かれた時には、「あれは空中イレギュラーです」と答えていたという。
人物
幼少期の負傷と被爆

来歴の節で記したように、幼少期に大火傷を負っている。右手以外は完治したものの、右手のみに後遺症が残り、親指・人差し指は完全に伸びず、薬指と小指は癒着したままである。野球を本格的に始めてからは誰にも見せないようにしていた。プロ1年目のオフ後、母親と談笑しているときに「この指がまともだったら、もっと良い成績が残せるのになぁ」と呟いたところ、母親が「母親なのに息子をちゃんと見ていないからこうなってしまった」と罪悪感を抱き、号泣してしまった。まずいことを言ったと反省した張本はそれ以降、家族にも右手を晒さなくなった[18]

NHKの番組で張本の右手を取り上げる企画が予定されたが、張本は拒否。その後、NHKの解説者を務めていた川上哲治にだけ、現役引退後の座談会で右手を見せた。川上は「よくもそんな手で…」と涙を流しながら絶句していたという[102]

プロ野球出身者で直接の被爆により被爆者健康手帳を交付されたのは、張本と濃人渉の2人のみとされている(直接被爆者自体は他にも、1954年に広島カープへ入団した原田高史がおり、原爆投下後に被爆地に入った「入市被爆者」では岩本義行が交付を受けている)。


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