弓術
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日本弓術の特徴は、中国の影響を受けて弓射の文化的要素が発達したことである。以下弓射をいくつかの視点で分類する。

弓術には流派間の違いやその特徴によって様々な射法、様式が存在するが、これらの特徴を弓射の「理念」および「射法」に着目して整理した以下の分類が一般的である。
儀礼的か実戦的かの性格による分類。「文射・礼射(ぶんしゃ、れいしゃ)」、「武射(ぶしゃ)」の2側面。前者を代表するものに小笠原流がある。

行射形式、射術方法による違いから、「騎射(きしゃ)」、「歩射(ぶしゃ)」・「堂射(どうしゃ)」の3種。騎射は馬上の弓術、歩射は歩兵のための弓術、堂射は通し矢競技のための弓術で、騎射は室町から江戸期に、堂射は幕末に中絶している[2]

実際には各流派には様々な歴史的経緯の上で、上記(1)・(2)の各種に重点を置いた思想・教えがあり、それが流派の特徴となっている。
弓術理念の2側面

「文射・礼射」・「武射」の2側面。ただし近世の弓術はこの両側面を備える場合が多く、単純に二分できるものではない(#近世弓術の特徴参照)。
文射的側面論語・八?第三』より。右頁五行目中段から「君子争う所無し?」とあり、礼射思想の淵源が見て取れる。侍と弓術。弓を保持しつつ兜の緒を締める、大鎧を着用した男性。

文射とは礼射ともいい、弓射の儀礼としての側面である。射は古代中国において 六芸の一つに数えられ、貴族層に必須の素養とされた。論語には「君子は争う所なし。必ずや射か。揖譲して升り、下りて飲ましむ。その争いや君子なり。[5]」とあるなど、支配者層の弓射が文化的・儀礼的性格を強く持っていた。

こうした弓射思想は古くから日本にも伝わり、その後も一貫して存在し続け、現代の弓道の思想にまで大きな影響を与えている。

朝廷では天智朝(7世紀後半)には既に年中行事として大射(射礼〈じゃらい〉)が行われる[6] など、種々の“儀礼の射”(「礼射」)が行われた。

武家社会においては、弓射の実利的側面が重視されたのは当然であるが、同時に儀礼的側面も重んじられ、公家の弓射儀礼を基礎としつつ[7] 様々な礼式が発達した。特に年初の的始(後には射礼と称された)は重要とされた。こうした礼式には逸見武田小笠原伊勢吉良などの家々に独自の伝があったという[8]室町時代中期以降は京都小笠原氏武家故実の中心となった。

その伝統を受け継ぐ小笠原流は武家社会での礼式に則った射の流れを汲む流派であり、今日の弓道で「礼射系」といえば、小笠原流に由来する作法や射法のことをいう[9]
武射的側面

武射とは弓射の武器としての側面であり、実際の戦場を想定した弓術の系統である。鉄砲伝来まで弓矢は最有力の武器であったことから重んじられており、土佐物語巻第二には「武士は国家を護持するを道とし、弓矢を業とす」と記述されている。的中と矢の威力を高めるため、技術の発展と道具の改良がなされてきた。戦国時代初期に発生した日置流により歩射を中心とした弓射技術は大きく進歩し、様々な実戦的技術、たとえば遠矢や矢合せ、の脇からの射、狭間からの射などが工夫された。泰平の世となった江戸時代以降も流派によっては実戦的価値に重きを置き、弓射戦術や甲冑を着用しての稽古が行われてきた。

日置流には武射傾向の強い流派が多く、今日「武射系」といえば、日置流諸派やそれに由来する作法・射法のことである[10]
近世弓術の特徴

江戸時代、太平の世にあって弓矢が武器としての役割が消える中で、武射系統も礼法を摂取することにより文武の側面は融合し、弓術は武芸としての一面が目立つようになっていった。この時代の弓術の概観を示す物として、江戸時代初期の大和流流祖・森川香山のよる五射六科がある[11]。五射は代表的な射法を、六科は弓術家として身につけるべき事項を挙げたものである。

     内容

射巻藁前(まきわらまえ)巻藁の射法。基礎に則って射ることから、格式の高いものとされる。
的前(まとまえ)現在の近的での射法。
遠矢前(とおやまえ)遠距離に射る射法。繰矢・尋矢(くりや)ともいう。
差矢前(さしやまえ)矢継ぎ早に射る射法。指矢・数矢ともいう。
要前(ようまえ)戦場での射法。敵前ともいう。

科弓理射術理論。巻藁前・的前・遠矢前・差矢前・要前。
弓礼礼法、作法。
弓法弓、矢、ゆがけなど弓具の取り扱い方。
弓器弓、矢、ゆがけなど弓具(の種類)に関する知識
弓工弓、矢、ゆがけなど弓具の制作方法。
丹心錬心とも。心の鍛錬。

射に「真行草」あり、として各種の射が分類されることもあった[12]

『真』…「的前」(近的)の普通射形

『行』…繰矢(くりや)・矢文の法

『草』…指矢・堂射

また、定められた作法に則り、礼法に従って射を披露することを射礼や体配などという[13](「体配」とは日置流系の用語)。今日では全日本弓道連盟により「一手射礼」「巻藁射礼」などいくつかの射礼が定められており、現存の各流派もそれぞれ独自の射礼(体配)を伝えている。

ただし江戸時代には「礼は小笠原、射は日置」といわれ、礼法については小笠原流が、射法については日置流が専門であると認識されていた。
射法による分類

弓射は伝統的に、騎乗徒立(非騎乗)かにより騎射と歩射に分けられてきた。また日置流誕生以降、歩射技術が様々に発展したが、その中でも江戸時代に隆盛した通し矢(堂射)は独自の発展を遂げた。様々な射法は「五射」(上述)に挙げられている。
騎射詳細は「騎射」を参照

騎射(きしゃ・うまゆみ)とは歩射に対しての用語で、騎乗して行う弓射。武士の表芸ともされたことから「弓馬」は武芸一般や戦そのものを指すようになり、「弓馬の道」とは「武士の守るべき道」を意味した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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