式日
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好きにやってほしい」と制作を強く勧めたため、正式に長編映画として制作された[2][1]

美術館での上映となったことが象徴するように、芸術性の高い作品であり「エンターテインメント」や「大衆・万人受け」を全く目指しておらず、庵野は「100人中1人が、この映画を観て良かった」と思える映画作品作りに徹しており、作中でもそうした映像を批判する。
脚本

藤谷文子の書いた小説『逃避夢』が原作で、藤谷本人が主演した。この原作も、藤谷自身の家族問題が下地になっている。庵野は原作に対して「頭のおかしな女の子の話で、文法を無視して書きたいことを書いた面白い作品」と評しつつも、そのまま忠実に映像化するのは無理があったため、「キャラクター、主に『彼女』の構造」「逃げ出したい程の『悲しみ』、キャラクター達がそれぞれ抱える『孤独』、過去故に抱いている『妄想』、生きることへの『意味』」等原作の根底となるものを抽出して尊重しながらも、全く別の構成に改変した[2]。藤谷は「『変えられて嫌だ』とは全然思わない。面白いものになるなら、どんどん変えてもらいたい」「雰囲気・匂い等の基本さえ変わらなければいい」と後押しし、プロットの段階から、正式稿になる段階まで、1ページ毎に庵野・南里幸・藤谷の3人で話し合いを何度も重ねていった。特に庵野に至っては、アイディアが浮かぶ度に藤谷に電話で確認をとった[3]

庵野は「個人として収束させたくない」という思いから、敢えてキャラクターの固有の名前を作らなかった[4]

撮影前に鈴木敏夫にシナリオに関する意見を尋ねた際、「アート系の映画なんだからもっと謎が謎を呼ぶ、ちょっと難しいラストにしたらどうかな」と提案をしたところ、庵野は「じゃあそうします」と笑ったという。
キャスティング

映画監督の岩井俊二がこの映画で初めて俳優として出演している。当初は庵野が岩井の担当する役を演じる予定だったが、「撮影現場で演出しながら、役者になるのは難しい」という理由で、他の人が担当することになった。庵野の「この役は本当の監督にやってもらいたい」と注文して、「設定が監督」と聞いた鈴木がすぐに岩井を思い浮かべた[5]。作中、岩井がワープロを打っているシーンは「現場では仕事の文章を真面目に作っている」と庵野が語り、実際に岩井はそのシーンでは「リリイ・シュシュのすべて」の脚本を執筆していた[1]

劇中では折々に主人公2人の独白がナレーションとして流れるが、「それですら嘘か本当かわからない、二転三転する様な客観性をモノローグに持たせたい」という庵野の意向から、松尾スズキ林原めぐみ・映像ソフト版では藤谷によって語らせる様にしている[6]
撮影

物語の舞台およびロケ地は、庵野の出身地である山口県宇部市である。作品中では基底として標準語や関西弁が使用されているものの、後半では効果的に山口弁が使用されている。

映像演出としては「映画と言えばシネマスコープ」という庵野の原体験に基づき、コンセプトは「シネマスコープの『2.35:1』という横縦の比率を生かす」「部屋はインスタレーションの様な作り込んだ美しさを作る」「風景描写は場所の説明だけでなく、見ている人・キャラクターの心の動き等、別のものを映し出す様にする」「アニメの場合、色がメタファーとして伝えやすい。キャラクターの区別として、色分けは最後の手段になる。『カントク』は黒・『彼女』『彼女の母親』は赤・『彼女の姉』は青と、アニメの色彩設定のノウハウを実写に持ち込む」ことを狙う様にした[4]

アニメ作品が中心であった庵野監督が、それまでの実写作品はDVカメラによるものだったため、35ミリフィルムアナモルフィックレンズを使用した実写映画作品は、これが初めてである[2][1]。これは「とにかく『赤』をきれいに見せることができるフィルムを選びたい」という庵野の意向であり、様々なフィルムをテストした結果コダックの「EKIR 20」を使用することにした[4]。ただし、「頭の中を覗く様なイメージシーン」はハイビジョンカメラを使用している[7]

撮影期間は1ヶ月。その間はキャスト・スタッフ共に舞台となる山口県宇部市から一歩も外に出なかった。DVカメラが使用されたシーンでは、庵野と岩井の2人だけで撮ったシーンがあり[6]、比率でいえば、ほとんどは岩井が撮影した。庵野は「観客が『カントク』の主観・視点をイメージできれば」と語っている[4]。また、ラストシーンに近い一部のパートでは台本無しで役者の即興劇で撮影されたシーンがある[2]。庵野は「生々しいシーンを撮る時は演劇的な画面にすることで、中和してバランスをとる様にした」と語っている[6]

「彼女」が住居としているビルも太陽家具百貨店が1994年の移転に伴って、当時廃屋となっていた山口県宇部市中央町の宇部本店跡である7階建てのビルの中でセットが組まれた[4]

キャストが「ここはどう演じましょうか」と聞くと、庵野は「好きにどうぞ」という放任主義だった。藤谷は慣れるまでに時間がかかったが、普通だったら美術スタッフが作って、役者が触ることがない部屋の小道具の配置について庵野は「キャラクターとしてではなくて、あなただったらどう置くのか?」とキャストに決めさせた。その姿勢に藤谷は「隅々まで動いていいんだ」という気持ちになった。ただ、藤谷は撮影時のテンションをしばらく引きずってしまい、一緒に住んでいる家族にひたすら喋り続けてしまった[6]

カメラは予め決められた場所に持っていって、カメラの位置・画面の切り方・実景等にこだわり、絵に対して意図的にコントロールしていった[8]

作品は岩井俊二の影響を強く受けているように見えるとも言われており、全体的に岩井俊二テイストの音楽、編集、テロップなどが出てくるが、その映像の構図、撮り方などは庵野独特のものに他ならない。庵野特有の映像、カットが実写にも取り入れられ、映像作家として、彼の世界を垣間見ることができる。
スタッフ

製作総指揮:
徳間康快

製作:鈴木敏夫

原作:藤谷文子

監督・脚本:庵野秀明

特殊技術:尾上克郎(特撮研究所)

撮影監督:長田勇市


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