映画監督の岩井俊二がこの映画で初めて俳優として出演している。当初は庵野が岩井の担当する役を演じる予定だったが、「撮影現場で演出しながら、役者になるのは難しい」という理由で、他の人が担当することになった。庵野の「この役は本当の監督にやってもらいたい」と注文して、「設定が監督」と聞いた鈴木がすぐに岩井を思い浮かべた[5]。作中、岩井がワープロを打っているシーンは「現場では仕事の文章を真面目に作っている」と庵野が語り、実際に岩井はそのシーンでは「リリイ・シュシュのすべて」の脚本を執筆していた[1]。
劇中では折々に主人公2人の独白がナレーションとして流れるが、「それですら嘘か本当かわからない、二転三転する様な客観性をモノローグに持たせたい」という庵野の意向から、松尾スズキ・林原めぐみ・映像ソフト版では藤谷によって語らせる様にしている[6]。 物語の舞台およびロケ地は、庵野の出身地である山口県宇部市である。作品中では基底として標準語や関西弁が使用されているものの、後半では効果的に山口弁が使用されている。 映像演出としては「映画と言えばシネマスコープ」という庵野の原体験に基づき、コンセプトは「シネマスコープの『2.35:1』という横縦の比率を生かす」「部屋はインスタレーションの様な作り込んだ美しさを作る」「風景描写は場所の説明だけでなく、見ている人・キャラクターの心の動き等、別のものを映し出す様にする」「アニメの場合、色がメタファーとして伝えやすい。キャラクターの区別として、色分けは最後の手段になる。『カントク』は黒・『彼女』『彼女の母親』は赤・『彼女の姉』は青と、アニメの色彩設定のノウハウを実写に持ち込む」ことを狙う様にした[4]。 アニメ作品が中心であった庵野監督が、それまでの実写作品はDVカメラによるものだったため、35ミリフィルム・アナモルフィックレンズを使用した実写映画作品は、これが初めてである[2][1]。これは「とにかく『赤』をきれいに見せることができるフィルムを選びたい」という庵野の意向であり、様々なフィルムをテストした結果コダックの「EKIR 20」を使用することにした[4]。ただし、「頭の中を覗く様なイメージシーン」はハイビジョンカメラを使用している[7]。 撮影期間は1ヶ月。その間はキャスト・スタッフ共に舞台となる山口県宇部市から一歩も外に出なかった。DVカメラが使用されたシーンでは、庵野と岩井の2人だけで撮ったシーンがあり[6]、比率でいえば、ほとんどは岩井が撮影した。庵野は「観客が『カントク』の主観・視点をイメージできれば」と語っている[4]。また、ラストシーンに近い一部のパートでは台本無しで役者の即興劇で撮影されたシーンがある[2]。庵野は「生々しいシーンを撮る時は演劇的な画面にすることで、中和してバランスをとる様にした」と語っている[6]。 「彼女」が住居としているビルも太陽家具百貨店が1994年の移転に伴って、当時廃屋となっていた山口県宇部市中央町の宇部本店跡である7階建てのビルの中でセットが組まれた[4]。 キャストが「ここはどう演じましょうか」と聞くと、庵野は「好きにどうぞ」という放任主義だった。藤谷は慣れるまでに時間がかかったが、普通だったら美術スタッフが作って、役者が触ることがない部屋の小道具の配置について庵野は「キャラクターとしてではなくて、あなただったらどう置くのか?」とキャストに決めさせた。その姿勢に藤谷は「隅々まで動いていいんだ」という気持ちになった。ただ、藤谷は撮影時のテンションをしばらく引きずってしまい、一緒に住んでいる家族にひたすら喋り続けてしまった[6]。 作品は岩井俊二の影響を強く受けているように見えるとも言われており、全体的に岩井俊二テイストの音楽、編集、テロップなどが出てくるが、その映像の構図、撮り方などは庵野独特のものに他ならない。庵野特有の映像、カットが実写にも取り入れられ、映像作家として、彼の世界を垣間見ることができる。
撮影
スタッフ
製作総指揮:徳間康快
製作:鈴木敏夫
原作:藤谷文子
監督・脚本:庵野秀明
特殊技術:尾上克郎(特撮研究所)
撮影監督:長田勇市
撮影:大沢佳子
照明:長田達也
ビデオポートレート撮影:岩井俊二
音楽:加古隆
音楽監督:岸健二郎
録音:橋本奏雄
衣装:伊藤佐智子
ヘアメイク監督:柘植伊佐夫
美術:林田裕至
編集:上野聡一・庵野秀明(ノークレジット)[4]
音響効果:伊藤進一、林彦祐
助監督:大崎章、谷口正晃
VRX Supervisor:石井教雄(オムニバス・ジャパン)
挿入歌作・編曲:川井憲次
プロデューサー:高橋望・南里幸
原作者でもあり、主演でもある藤谷は「ラストの一部は精神性・観念的なイメージで書いた原作と一番違っていて、映画では会話で成り立たせた。『現実に流れている空気』が伝わるシーンでこれは実写だからこその醍醐味」「現場の人間として、少しは強くなれた様に思います。『遠慮する時はして、しなくていいときはしない』というやり方が少しわかりかけてきた様な気がするんですよ」「映画の根底にあり、ベースになっているものは、小説で自分が求めていたものと一緒だった」と感謝の意を示している[6]。
松蔭浩之は「ナレーションのインサートがたくさん入っていて、どうしても何度も泣いてしまうんですよ。特に『カントク』の独白はたまらなかった。チャールズ・ブコウスキーの小説を読んでいるみたいだった」「『カントク』の持っている雰囲気が、フランス映画で見られる『アンニュイ』『倦怠感』『退廃』ではなくて、日本人独特の『何かを持て余している。だけど、あがくのもなぁ』という『憂鬱』がポイント。『憂鬱』を描かせたら庵野さんが世界一だ」と称賛している[4]。
製作に関与した鈴木敏夫は「よく『自伝』と称した小説や映画があるが、そのほとんどが美化が入ったフィクションでしかない。しかし、庵野は違う。そもそも彼は『等身大の自分自身をそのままさらけ出すのが映画作りだ』とかたくなに信じこんでいるのだ。『式日』はその庵野秀明の映画作りが最もピュアにほとばしり出た作品になった。『新世紀エヴァンゲリオン』が好きな人は、ぜひ『式日』を見るといいと思う。より深く『エヴァ』の本質が分かる、いわば“副読本”みたいな映画だ」と話している[8]。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d “庵野秀明が自身のキャリアを振り返る!【実写映画編】アニメで感じた限界と実写でしか撮れない映像とは?Part2