弁髪
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1851年に起こった太平天国の乱において、太平天国軍は清朝への抵抗のため辮髪スタイルを停止したが、清の朝廷は洪秀全を首領として天主教を奉じて反乱を起こした人々を「長髪賊」と呼んだ[7]近代に入ると「反清」を標榜する証として辮髪を切る者も増えた。特に欧米に留学した清国人は生活上のこともあって断髪する者もあった。米国留学中に辮髪を切った学生の例では、官費留学制度から外されたり、強制帰国されたりしている[8]。そのため、断髪した革命派の学生や留学先で辮髪を切ったものの清朝に反抗する意志までない者の帰国時には、取り締まりを逃れるために辮髪のかつらを付けることがあり、魯迅も一時帰国時に使用していたことが知られる[9]

清朝にあっては、辛亥革命の起こった1911年まで「薙髪令」は続き、僧になり出家した者と禿頭(とくとう)以外でこの辮髪にしない者は死刑を含む処罰された。清朝滅亡後、中華民国の発布した「断髪令」によって辮髪の風習は廃れたが[1]、農村部では一部で1950年代まで辮髪をする男性もいた[注釈 1]。実際の日常では、体を大きく動かす動作の際に辮髪が地面に触れて汚れたり邪魔にならぬよう、縄状の毛髪部分を衣服の襟首に巻き付けたり、鉢巻の様に頭に巻くことが多かったという。
辮子軍「張勲復辟」も参照

袁世凱に信任され、1913年第二革命でも袁を支援して南京を奪還した軍閥の指導者張勲は、黎元洪支援の名目で北京入城を果たした1917年宣統帝溥儀の復辟を画策した(張勲復辟[10]段祺瑞らの反撃でこの動きは失敗に帰したが、張勲軍は辮髪をトレードマークとしてこれを誇りとし、「辮子軍」と称された[10]
関連画像.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}清の芸人。1655年から1657年にかけて描かれたイラストアロー戦争(1856-1860)後の天津条約の締結。清の役人たちは、辮髪を垂らしている。アロー戦争の原因となったアロー号拿捕の場面を描いた絵。清の兵士たちは、辮髪を垂らしている。清朝末期の髪型や服装を描いた絵画(1905年

1661年ヨーロッパで描かれた絵[注釈 2]

辮髪を引っ張る日本の遊女(1881年月岡芳年 筆)

下関条約(1895)での清朝全権(1929年永地秀太 筆)

「列強の中国分割」をあらわしたフランスの政治画(1898年アンリ・メイエ 筆)

黄禍」を描いたイラスト(1899年、"The Yellow Terror in all his glory")

義和団の乱(1900)の兵士(ヨハネス・ヘルマン・バレンド・コッコエク(オランダ語版) 筆)

「アメリカのガリバーと中国のリリパット人 ? 最後のスパイクを打ち込むか」(1901年アメリカ労働総同盟発行のパンフレット

ポップカルチャーでの辮髪

清朝以前の漢人にとっては、満洲人の異様な風俗に過ぎなかったが、近世における長い強制によって中国人のイメージと一体化。この間に本格的に中国と接し続けた外国人の間では、日本のゆでたまごの漫画のキャラクター、ラーメンマン(『闘将!!拉?男』)等に代表される様に、今でもドジョウとセットでの中国人のイメージとして残っている事が多い。

プロレスラーのキラー・カーンは一時期、辮髪を結っていた。ただしギミック上カーンはモンゴル・スタイルであって、満洲人の頭髪とは矛盾があった。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ スズメ駆除をする男性が辮髪をしている1950年代の画像が残っている。
^ マルティノ・マルティニ著 "Regni Sinensis a Tartari devastati enarratio" の表紙絵。コサックが、倒した満洲人の首を掲げている。しかし、この絵は想像に基づくもので、コサックの装備や辮髪の形などいくつかの間違いがある。

出典^ a b c d e f 『辮髪』 - コトバンク
^ a b 『弁髪』 - コトバンク
^ a b c d 『薙髪令』 - コトバンク
^ a b c d e 石橋(2000)pp.118-120
^ 愛新覚羅ウルヒチュン(1996)
^ 夫馬進(2015)p.458
^ 『長髪賊』 - コトバンク
^ 容應萸、「19世紀後半のニューヘイブンにおける日米中異文化接触」 『アジア研究』 2016年 62巻 2号 p.37-60, doi:10.11479/asianstudies.62.2_37
^ 劉香織『断髪 近代東アジアの文化衝突』朝日新聞社、p92
^ a b 『張勲』 - コトバンク

参考文献

愛新覚羅ウルヒチュン『最後の公爵 愛新覚羅恒煦―激動の中国百年を生きる』朝日新聞社〈朝日選書〉、1996年9月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4022596611


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