弁当
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サンドイッチのようなヨーロッパスタイルの弁当が現れ始めたのも1898年(明治31年)からである[15]

大正時代、学校に弁当を持って来る慣例を廃止する動きがあり、社会問題に発展した。第一次世界大戦後に不況が続くと、農村の生活苦から主に東北地方からの東京など都会への移住者が増えるなどして、貧富の差が弁当に表れた。当時の人々は、この現象が、肉体的な面からと精神的な面から、子供たちに好ましからぬ影響を与えるのではないかと考えたのである。明治以降、都市部の貧困層や育てた農作物を自由にできない貧農の世帯が、子供の通学時に弁当を持たせられない欠食児童がしばしば問題化した。
昭和

昭和に入ると、アルミニウム素材の表面をアルマイト加工した弁当箱が開発された(アルマイトの発明年は1929年(昭和4年))。壺井栄の体験を基にした小説『二十四の瞳』(1952年(昭和27年)発表)で描写された弁当箱は「目の覚めるような銀色」をしており、保管や洗浄など扱いの容易さもあって、当時の人々から羨望の的となった。また、小学校の冬の暖房機器としてストーブ類が多用されていた頃は、持参したアルマイト製の弁当箱ごとストーブの上に置き、保温・加熱するということも行われた。昭和初期には弁当の手引き書が多く出版されるようになり、栄養価を考え、弁当に入れるおかずの種類も多彩になっていた。

第二次世界大戦の後、多くの地域では学校の昼食は給食に切り替えられて(日本の学校給食#昭和戦後期を参照)、全ての生徒と教員に用意されるようになった[16]。これによって、徐々に学校に弁当を持参する習慣は少なくなった。

1970年代、駅弁は国鉄ディスカバー・ジャパンキャンペーンもあって、鉄道で観光旅行に出かける人が増えると、各地の素材や郷土料理を活かしたもの、観光地にまつわる物など、より多様なものとなった。魔法瓶式の弁当入れ、ランチジャー

冬季の寒冷地などで金属容器に詰めた弁当が冷えた場合を除いて(前述の『二十四の瞳』の記述、および弁当箱#日本の弁当箱を参照)、弁当は温めずに食べられていたが、1960年代にジャー式や魔法瓶式の保温弁当容器が開発されると[17][18]、職場や学校でも温かい弁当を食べられるようになった。最初に登場したこのタイプの容器は構造上、サイズの小型化が難しく、鞄に収めにくいため別持ちになったが、そのため落とすと衝撃で内部が破損しやすいという問題もあった。

なお、弁当を温めるために使用される電子レンジが販売された時期は高額な業務用が1960年代であり、一般向け製品の普及率が8割を超えたのは1990年代である[19]

1970年代以降は、弁当専門店やコンビニエンスストア、スーパーマーケットなどで弁当が販売されるようになった。

持ち帰り弁当専門店(通称:ほかほか弁当など。略称はホカ弁)としては、1976年(昭和51年)に創業したほっかほっか亭が、フランチャイズシステムで急成長し、同業他社とともに隆盛をみた。後にいう中食であるが、ホカ弁は登場当初より「買ってきた弁当をなるべく出来たての状態で食す」という業態であり、基本的に購入後の再加熱は意図されていない供食様式である(そのため現在でもレンジ不可の容器を用いているホカ弁業者もある)。

同年代以降に急速に普及したコンビニエンスストアでは、いわゆるコンビニ弁当の販売が始まった。これは各店舗への配送や店舗内の陳列どちらも冷蔵状態のままで、配送に差し障らないよう、たとえば水分量を要するスープ分などが加熱必須のゲル状に仕上げられており、つまり店舗あるいは自宅の「電子レンジでの加熱」を基本として製造されている。このコンビニ弁当の日常社会への浸透により、「弁当は温めて食べるもの」という概念が、より主流になった。

同じ頃より、スーパーマーケットの惣菜コーナーにも弁当が並ぶようになった。これらは「市販の弁当を店で買い、持ちかえって食べる」という新しい趨勢(中食の一般化)を作り出した。

昼食時間帯に飲食店が混雑するオフィス街などでは飲食店が持ち帰り販売したり、移動販売車(キッチンカー)が出展したりも日常的にみられる。仕出し弁当などの配達業者も、時間指定で温かいものを届けることを売りにするものが現れ始めた。これらの現象と呼応するように、ドカベン(土方が持つような大きな弁当箱)に象徴されるアルマイトなど金属製の弁当箱も、耐熱性プラスティックなどの弁当箱に変わっていった。
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出典検索?: "弁当" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2021年10月)

1990年代平成には、日本のコンビニエンスストアに納入する弁当の製造工場は24時間体制で操業し、多いものでは日産数万食にも及ぶ規模となっていた。


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