隋が南朝陳を滅亡させた際に、削平と開墾された上、都市の発展で南京市の下に埋もれた。そのため、遺跡調査も容易でなく、場所や概要は長い年月不明である。また、開発に伴う破壊も考えられた。
広義の六朝建康城とは、宮城・都城・外郭の三重の城壁と壕を含み、さらに周囲には石頭城・東府城・西州城・丹陽郡城・白下城・冶城・越城などを代表とする衛星都市群を含んでいる。さらに、その間に広く分布している礼制・宗教・官街・市場・里坊・庭園などの各種の建物、および都市交通の命脈である道路や水路などがある[15]。
2012年3月20日、南京市文物保護単位に指定された。
脚注^ 『漢書』巻28上 地理志上
^ a b c d e 『三国志』巻47 呉書2 呉主伝
^ a b c d 『三国志』巻48 呉書3 三嗣主伝
^ 『晋書』巻5 孝愍帝紀
^ 『晋書』巻6 元帝紀
^ a b c 『晋書』巻7 成帝紀
^ a b c 『晋書』巻9 孝武帝紀
^ a b 『宋書』巻5 文帝紀