庵野秀明
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町山智浩は『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』に『帰ってきたウルトラマン』の強い影響、とりわけ第5・6話の影響を指摘した[30]

コロタン文庫『ゴジラ怪獣全百科』の巻末に自ら描いたメーサー殺獣光線車などのイラストつきエッセイを掲載している。

東京都現代美術館で2012年7月10日より開催された展覧会「館長 庵野秀明特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」のプロデュースを担当し、会場で上映された短編特撮映画『巨神兵東京に現わる』の脚本などを手がけた。

東映特撮ファンクラブ(TTFC)の会員である事を『シン・仮面ライダー対庵野秀明展』合同記者会見にて明かす。ニチアサではリアタイできない為、こちらで近年の作品をチェックしているとの事[31]

他にも時代劇『大江戸捜査網』のファンでもあり、『新世紀エヴァンゲリオン』が同じテレビ東京系列で放送されていたことから、知り合いの関係者に『大江戸捜査網』のソフト化を働きかけることも多かったという[32]

略歴

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1960年昭和35年) - 5月22日、山口県宇部市生まれ。

1980年(昭和55年) - 大阪芸術大学芸術学部映像計画学科入学。

1983年(昭和58年) - 大阪芸術大学を中退。『風の谷のナウシカ』の原画に採用され上京。

1984年(昭和59年) - 株式会社ガイナックスの設立に参加。

1988年(昭和63年) - 『トップをねらえ!』でアニメ初監督。

1997年平成09年) - 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞。

1998年(平成10年) - 映画『ラブ&ポップ』で実写初監督。

1999年(平成11年) - 小惑星庵野秀明』が命名される。

2002年(平成14年) - 漫画家安野モヨコと結婚。明治神宮で挙式を執り行う。

2006年(平成18年) - 庵野個人のアニメ制作会社・株式会社カラー、制作スタジオ・スタジオカラーを設立。

2007年(平成19年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの第1作として『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を発表。同年、株式会社ガイナックスを退社。

2009年(平成21年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第2作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を全国主要映画館にて公開。

2011年(平成23年) - 映画『監督失格』のプロデュースに関わる。

2012年(平成24年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第3作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を全国主要映画館にて公開。

2013年(平成25年) - 『風立ちぬ』で初声優[注釈 2]・初主演。

2015年(平成27年) - 背景美術会社株式会社でほぎゃらりー設立、取締役就任。

2016年(平成28年) - 映画『シン・ゴジラ』を全国主要映画館にて公開。総監督を務める。

2017年(平成29年) - 『シン・ゴジラ』が第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。同作で監督を務めた樋口真嗣とともに最優秀監督賞を受賞。また、「平成28年度(第67回)芸術選奨映画部門 文部科学大臣賞」も受賞している[34]。また同作で第37回日本SF大賞・特別賞を受賞。

2017年(平成29年) - スタジオカラー・ドワンゴ・麻生塾の三社で福岡に設立したアニメ制作会社株式会社プロジェクトスタジオQの取締役創作管理統括に就任。

2017年(平成29年) - NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める[18][35]

2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴの二社で設立した株式会社バカー(βακα)の取締役に就任[36]

2018年(平成30年) - スタジオカラー・ドワンゴ・KADOKAWAインクストゥエンター・アソビシステムホールディングスでVTuberを起用したモーションキャプチャアニメの制作、およびVTuberの開発・マネジメント・プロデュースなどの事業を展開する合弁会社としてリドを12月14日に設立。

2021年令和03年) - ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ第4作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を全国主要映画館にて公開。


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