庭師
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室町以降の枯山水などの試みは広く行われるようになっていくが、これは禅宗の影響を受け雪舟夢窓疎石のような「石立僧」が台頭していったことがあるが、現在でも深谷光軌枡野俊明など僧侶が作庭家となるケースはある。

江戸期は回遊式庭園の形式が発達し、時の徳川幕府は作庭責任者の将軍家御庭師とともに御用庭師にあたる御庭掛などを定め、庭園管理に務めさせている。江戸期には、貞観園改修に参画した幕府のお抱え庭師であった九段仁右衛門や藤井友之進、縮景園築造に呼ばれた京都からの庭師清水七郎右衛門、清水園新発田藩)に関わった幕府お抱え庭師縣宗知、宮良殿内の和風枯山水庭園を作庭した首里の庭師城間親雲上などがいた。駒込村枝郷染井村には江戸城内の庭師もつとめた植木屋伊藤家などがあった。

近代からは植木職人や樹木・園芸種を育てる農家が屋号をもって建設業造園業や石材業を営むようになっていくが、この中で小川治兵衛の植治など、今日にも残る老舗といわれる植木商や造園業者に発展したものや出入り業で家業を継いで発展したものが多く、また戦前ごろから大学卒の学士などが修行し独立するケースもみられていく。近代期では、大河内山荘を築造した広瀬利兵衛、殿ヶ谷戸庭園を築造した仙石、自らの手で合浦公園造成を開始した旧弘前藩庭師の水原衛作、迎賓館を築造した佐野藤右衛門岩城亘太郎柴又帝釈天邃渓園を築造した向島の庭師永井楽山などがいる。

現在では幾多の名園は企業や公共団体が管理するものが主流を占め、中根金作のように京都府など自治体技師文化庁環境省など国の技官として任用されるケースもある。
関連項目

職人

造園技能士

作庭家

ガーデンデザイナー


サイトスペシフィック・アート - 造園または庭師的な仕事

トピアリー - 奴隷の庭師が生垣に主人と自分のイニシャルを刈り込んだのが最初とされる

リマのローザ - 刺繍と庭師の守護聖人

職藝学院 - 大工と庭師の専門学校富山県富山市

バンベルク - 「庭師と農民の博物館」がある都市

河原者

業界用語 - 「カテキョ」は庭師

修道院長 - フランシスコ会では庭師を意味する「クストス」

エレファンク庭 - エレファンク庭のファンの総称が「庭師」

人物

ロベルト・プロシネチキ - 庭師の足を持つ男と呼ばれた

ドナルド・E・ウェストレイク - 妻は庭師としても有名

メフメト2世 - 専門は庭師であったとされる

フリオ・クルス - 愛称=庭師(ハルディネーロ)

村雨辰剛 - スウェーデンから日本へ帰化した庭師

庭師でもあった人物

ウィリアム・ブラウン (バウンティ号) - バウンティ (帆船)号の乗組員の庭師

ウィリアム・ロビンソン (造園家) - ダブリンで庭師として修行経験をもつ

岡田憲久 - 京都で庭師として修業

ルイス・ベーマー - 高校卒業後、宮廷庭師の下で修業

ヴァルター・シュタイナー - 妻とともにスウェーデンファルンに移り住み、庭師として働いている

ニカウ - 実際は庭師

グフタフ・マイヤー - もとはプロイセン宮廷の庭師

ドン・トンプソン - 庭師も兼業

クラーク・アシュトン・スミス - 庭師として働きながら絵や彫刻にいそしみ、詩や小説の執筆

愛新覚羅溥儀 - のちに北京植物園で庭師

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン - 晩年庭師に

ジェームズ・スターレー - 当初庭師をしていた

ハンス・ヘルムート・キルスト - 一時期庭師を

諫山修身(日本ナザレン教団) - ロサンゼルスで庭師として働いていた


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