みろくの里での撮影中の1988年12月26日、殺陣のリハーサル中、五右衛門役の奥村雄大の持っていた日本刀(真剣)が子分役の俳優の首に刺さり死亡する事故が起きる[2][6][7]。奥村に真剣を持たせたのは助監督で、時代劇経験のない、急遽集められたスタッフの一人だった。「真剣の使用における安全管理の問題」「重大事故の発生にもかかわらず撮影を続行する製作姿勢」などが問題視され、一大スキャンダルとして報道された[2][7]。奥村は勝の長男で、本作が映画デビュー作であった[2][7]。
1989年1月18日にようやくクランクアップした後[2][7]、2月4日の封切りに、最終作業を間に合わないとみた松竹は公開延期を申し入れてきた[2]。しかしここでついに大映時代からのスタッフの実績が発揮されることとなった。事件報道の集中砲火を浴びて満身創痍の勝は得意の三味線を即興演奏して劇中に盛り込み、徹夜を重ねたスタッフは見事にフィルムをまとめ上げた[2][7]。事故が大々的に報じられたのがいい宣伝となり、「座頭市」シリーズで最大の観客動員と配給収入となった[2]。
脚注^ ⇒1989年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
^ a b c d e f g h i j k l m 『天才 勝新太郎』
^ a b c d e f g h i j 「松竹ニュース 広島県"みろくの里"に大規模な宿場町再現! 勝新の15年ぶり復活『座頭市』撮影快調」『映画時報』1988年12月号、映画時報社、20頁。
^ 馬場正男と撮影所・京都カツドウ屋60年 /192 困難だった人材育成
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