府院の争い
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そこで段祺瑞は彼の息のかかった13省[2] の督軍[3] から成る督軍団の軍事力を使って国会に圧力を掛け始めた。5月10日、参戦討議を行った国会を督軍団が包囲した。袁世凱再来とも言えるこの横暴ぶりに議員達は猛烈に憤慨する。この後も督軍達の政治への圧力が続いたため、5月23日に黎元洪は段祺瑞を罷免する。張勲

段祺瑞が罷免されたことで府院の争いは一応の決着をみた。だが段祺瑞が下野したとたん、北洋軍閥系の督軍が続々と中華民国からの独立を宣言した。慌てた黎元洪は徐州にいた非参戦派の張勲に督軍団との仲裁を依頼する。

6月7日、張勲の手勢4,300名の兵が入京してくる[4]。北京を武力制圧した上で6月8日、黎元洪に対して国会の解散を要求する。背に腹は代えられないと黎元洪はこれを了承、国会を解散するのだが、民国期になっても辮髪を止めないほどの保守派である張勲はここぞとばかりに立憲君主制を目指す康有為を呼び寄せて、7月1日に清朝最後の皇帝宣統帝を復位させてしまう(張勲復辟)。在北京日本公使館

黎元洪は日本公使館に避難し、7月3日にそこで段祺瑞と馮国璋に張勲の軍の制圧を依頼する。7月5日には段祺瑞を再度国務総理に任命し、7日には馮国璋を大総統代理に任命した。表舞台に舞い戻った段祺瑞の北洋軍閥はあっけなく張勲の軍を打ち破り、7月12日には北京を制圧、段祺瑞は7月14日に悠々と入京を果たしている。この日のうちに黎元洪は日本公使館を出て大総統辞職を宣言し、政治の一線から退いた。
脚注[脚注の使い方]^ 政事堂国務卿:後に改組して国務総理。内閣の首班で首相に相当する。
^ 山東省奉天省吉林省黒竜江省河南省直隷省浙江省江蘇省湖北省江西省綏遠省察哈爾省熱河省の13省
^ 督軍:各省の軍事長官。袁世凱時代に都督から督軍に改称された。
^ この時、張勲自身は天津に残っていた。

関連文献

李書源『黎元洪:柔暗総統 : 民初五大総統列伝』吉林文史出版社、1995、
ISBN 7805289573










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