晋のとき、広陵郡は淮陰・射陽・輿・海陵・広陵・塩涜・淮浦・江都の8県を管轄した[10]。
南朝宋のとき、広陵郡は南?州に属し、広陵・海陵・高郵・江都の4県を管轄した[11]。
南朝斉のとき、広陵郡は海陵・広陵・高郵・江都・斉寧の5県を管轄した[12]。
東魏の興和年間、東豫州に広陵郡が置かれた。広陵郡は宋安・光城・安蛮・新蔡・汝南の5県を管轄した[13]。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、広陵郡は廃止されて、呉州に編入された。589年(開皇9年)、呉州は揚州と改められ、揚州総管府が置かれた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、揚州は江都郡と改称された[14]。
620年(武徳3年)、杜伏威が唐に降ると、江都郡は?州と改められ、東南道行台が置かれた。624年(武徳7年)、?州が?州と改称された。626年(武徳9年)、?州が揚州と改められ、大都督が置かれた。742年(天宝元年)、揚州は広陵郡と改称された。758年(乾元元年)、広陵郡は揚州と改称され、広陵郡の呼称は姿を消した[15]。
脚注^ 『漢書』景十三王伝
^ 『漢書』武帝紀
^ 『漢書』地理志上
^ 『漢書』宣帝紀
^ 『漢書』武五子伝
^ 『漢書』地理志下
^ 『後漢書』光武帝紀下
^ 『後漢書』顕宗紀
^ 『後漢書』郡国志三
^ 『晋書』地理志下
^ 『宋書』州郡志一
^ 『南斉書』州郡志上
^ 『魏書』地形志二中
^ 『隋書』地理志下
^ 『旧唐書』地理志三
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