広末涼子
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幼少期より芸能界への憧れを持ち[4]、中学1年生の時の文集には「15歳の時-輝くモデルデビュー、18歳の時-芸能界に入り女優になる」と書いて、実現している[13]
芸能界入り後
1994年
中学2年生の頃に雑誌で見つけた
CMオーディションに応募し、第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを受賞[13]
1995年
クレアラシルのCMでデビュー。6月12日、『ハートにS』でドラマデビュー。
1996年
3月、高知市立城北中学校を卒業。4月、品川女子学院高等部に入学。進学を機に高知から上京して、神奈川県横浜市伯母夫婦宅で暮らし始める[13]。様々なCMに出演していたが、この年に出演したNTTドコモポケベルのCM「広末涼子、ポケベルはじめる」で一躍有名になる[13]。9月30日、初写真集の『H』『R』を同時発売。出版科学研究所調べ、2003年6月までの集計で46万8000部(2冊計)[14] のベストセラー。続く1998年のセカンド写真集『No Make』も同集計で26万部[15] を記録した。
1997年
3月13日、糸井重里の企画から「スターフォックス64」のCM撮影が行われた。150人もの若手お笑いタレントが起用され、撮影は深夜から早朝にかけて行われていた[16]。4月15日、竹内まりやプロデュースによる「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューし、約60万枚のヒットを記録。続く岡本真夜プロデュースのセカンドシングル「大スキ!」はオリコン1位を獲得。同年にファンクラブ「RHフレンドル」発足(2008年12月に解散)1996年7月発行の第1号を皮切りに年4回ファンクラブ会報を発行していた。7月26日、原将人監督による『20世紀ノスタルジア』で映画初主演。同作での演技により、映画賞の新人賞を総なめにした。12月31日、『第48回NHK紅白歌合戦』に初出場し「大スキ!」を歌った。女性アイドル歌手がデビュー年に紅白に出場したのは1980年の松田聖子・岩崎良美以来17年ぶりのことである。
1998年
10月10日、『銀河の約束』で初舞台。11月25日、早稲田大学教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格[17]
1999年
2月6日、初コンサート『RH DEBUT TOUR 1999』を日本武道館名古屋レインボーホール大阪城ホールの3か所で行う。4月、早稲田大学教育学部に入学するも、3か月間登校しなかったため批判が集まる(詳細は早稲田大学広末涼子入学騒動を参照)[18][19]。3か月後の初登校時はマスコミが100人以上集まる騒動となった[20]。同年の映画『秘密』に主演。シッチェス・カタルーニャ国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞。同年は映画『鉄道員』にも出演している。
2001年
7月に主演したフジテレビのドラマ『できちゃった結婚』の収録期間中での奇行が報じられる[2][21]。詳細は『できちゃった結婚 (テレビドラマ)#エピソード』を参照。
2002年
女優業に専念するため、2月27日ベストアルバム「広末涼子 Perfect Collection」の発売を最後に音楽活動を休止する。
2003年
10月6日、「女優業に専念したい」との理由で早稲田大学を退学[2][22]。12月15日、都内のホテルで会見し、モデルの岡沢高宏との結婚と自身の妊娠を発表[1]。12月17日のYahoo!チャットイベント開催後に産休に入る。
2004年
4月、第1子男児を出産[23]
2005年
7月4日、フジテレビ月9ドラマスローダンス』で女優復帰。7月15日、元横綱・朝青龍とともに「高知県観光親善大使」に任命される。
2006年
11月1日、ACC CMフェスティバル贈賞式に出席。出演している資生堂TSUBAKI」のCMが演技賞を受賞した。
2008年
3月13日、岡沢との離婚を発表。長男の親権は広末が持つ[23]。9月2日、出演した映画『おくりびと』が、第32回モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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