広末涼子
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個人事務所R.H代表取締役社長[5]
来歴

高知市立追手前小学校(閉校)[6]高知市立城北中学校品川女子学院高等部卒業。早稲田大学教育学部国語国文学科中退[7]

予定日より1か月早く生まれ、体重2000gほどで、産まれた時に息をしていなかったため、医者が叩いて「生命力が強いから大丈夫ですよ」と母に対して言ってくれたという[8]。子供の頃は実家の店があるアーケードローラースケートをしたり[9]遊びをしていた[10]

1992年10月、小学6年生の頃に四国四県を結ぶテレビ授業『1992年四国子供TVサミット』が行われ、小学校代表で広末が司会をする様子や、NHKの記者からインタビューを受ける映像(NHK高知放送局で保管)がファミリーヒストリー(2021年2月15日放送)で流れた。当時の担任教諭によると「テレビ授業のリハーサルの時に香川県の小学校からさっきのかわいい子、もう一回映してくれませんかと言われており、県外の子から見てもかわいい存在だったんじゃないでしょうか」と証言している[11]

1993年4月、高知市立城北中学校に入学。陸上部に所属し、走り高跳びの選手として県大会で2位入賞を果たした。元阪神タイガース藤川球児は中学時代の同級生である[12]

幼少期より芸能界への憧れを持ち[4]、中学1年生の時の文集には「15歳の時-輝くモデルデビュー、18歳の時-芸能界に入り女優になる」と書いて、実現している[13]
芸能界入り後
1994年
中学2年生の頃に雑誌で見つけた
CMオーディションに応募し、第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを受賞[13]
1995年
クレアラシルのCMでデビュー。6月12日、『ハートにS』でドラマデビュー。
1996年
3月、高知市立城北中学校を卒業。4月、品川女子学院高等部に入学。進学を機に高知から上京して、神奈川県横浜市伯母夫婦宅で暮らし始める[13]。様々なCMに出演していたが、この年に出演したNTTドコモポケベルのCM「広末涼子、ポケベルはじめる」で一躍有名になる[13]。9月30日、初写真集の『H』『R』を同時発売。出版科学研究所調べ、2003年6月までの集計で46万8000部(2冊計)[14] のベストセラー。続く1998年のセカンド写真集『No Make』も同集計で26万部[15] を記録した。
1997年
3月13日、糸井重里の企画から「スターフォックス64」のCM撮影が行われた。150人もの若手お笑いタレントが起用され、撮影は深夜から早朝にかけて行われていた[16]。4月15日、竹内まりやプロデュースによる「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューし、約60万枚のヒットを記録。続く岡本真夜プロデュースのセカンドシングル「大スキ!」はオリコン1位を獲得。同年にファンクラブ「RHフレンドル」発足(2008年12月に解散)1996年7月発行の第1号を皮切りに年4回ファンクラブ会報を発行していた。7月26日、原将人監督による『20世紀ノスタルジア』で映画初主演。同作での演技により、映画賞の新人賞を総なめにした。12月31日、『第48回NHK紅白歌合戦』に初出場し「大スキ!」を歌った。女性アイドル歌手がデビュー年に紅白に出場したのは1980年の松田聖子・岩崎良美以来17年ぶりのことである。
1998年
10月10日、『銀河の約束』で初舞台。11月25日、早稲田大学教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格[17]
1999年
2月6日、初コンサート『RH DEBUT TOUR 1999』を日本武道館名古屋レインボーホール大阪城ホールの3か所で行う。4月、早稲田大学教育学部に入学するも、3か月間登校しなかったため批判が集まる(詳細は早稲田大学広末涼子入学騒動を参照)[18][19]。3か月後の初登校時はマスコミが100人以上集まる騒動となった[20]。同年の映画『秘密』に主演。シッチェス・カタルーニャ国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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