日本大学芸術学部演劇学科卒業[1][2][19][20]。在学中は、自ら結成した落語研究会で講師となった柳家つばめから大きな影響を受ける[21]。大学卒業後、舞台俳優を目指し俳優の道へ進んだ[2][19]。 1961年、大学の先輩であり東北新社にて吹き替えディレクターをしていた小林守夫から声をかけられたことで[19][20]、海外ドラマ『シャノン
キャリア
1969年、アニメ『ムーミン』にスノーク役で出演。自身の味を出そうと考えこんだ時期でもあり、他のキャラクターとのギャップを広げようと語尾を変えたり工夫した結果、独特なアドリブスタイルが完成された。それが評判となり、吹き替えなどの他作品でもその口調を求められることが増加。広川は後に「自分にとってもターニングポイントになったのがスノークでした」と述べている[23]。
全盛期にはCMナレーションを月に30?40本務めており[11]、加えて『おはようテレビ朝日』や『競馬中継』などのテレビ番組の司会、ラジオ番組のパーソナリティといったタレント活動も行っていた。 晩年になってからもナレーションを中心に精力的に活動していたが、その後体調を崩すようになる。 2008年3月3日、癌のため東京都渋谷区の病院にて死去[24]。69歳没。第2回声優アワードの冒頭で訃報が告げられた[25]。同年2月下旬に行われた『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』DVD版のナレーション収録が最後の仕事となった[7]。 渋い二枚目からコミカルなキャラクターまで幅広く演じている[24]。洋画ではトニー・カーティス、エリック・アイドル、マイケル・ホイ、ロジャー・ムーア、ディーン・マーティン、ダン・エイクロイド、ロバート・レッドフォードなどを持ち役とする。アニメでは『宇宙戦艦ヤマト』シリーズの古代守役や『ムーミン』のスノーク役などがある。 劇団やプロダクションには属さず、一貫してフリーで活動した[2]。このことに関して、舞台俳優を目指した新人時代に見学した複数の劇団が入団条件にしていた「研究生になること」に抵抗があったことや、口幅たい言い方とした上で「なんかケツの穴の小っちぇ世界だなあ」と思ったことから躊躇していた結果、流れでフリーランスとならざるを得なくなった、と後に回想している。また、その躊躇していた頃に声優としての仕事を取れたことで、晩年には「浮き草みたいに自由にやってきた。自分でも今日までよく、ひとりでやってこられたなあという気がします(笑)」と語っている[21]。 コメディ作品などでは、ダジャレなどのアドリブを吹き替えに交えて作品の魅力を引き出した。「ようっとな」「いいんでないかい」「なんともはや」「…っちゃったりなんかして」「はた?」「恥ずらかしい」「きらーん♪」といった台詞回しは「広川節」「広川調」と呼ばれ親しまれた[11]。広川自身はこれについて「披露したのは全出演作のうち2割ほどだが、それが突出して世間に行き渡っている」と述べている[26]。 言葉遊びについて、原点は大学の落語研究会所属時だといい「昔からある言葉にフリカケをすることで、今に蘇らせたいんですよ。たとえば“けっこう毛だらけ猫はいだらけ”って言葉のあとに、“サハラ砂漠は砂だらけ”って繋げると、なんだか面白いセンテンスになるでしょ」と語っている[21]。
晩年・死去
人物
広川節
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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