吹き替えについて、口パクなどの間尺を合わせること(リップシンク)は基本だとしつつも、リップシンクばかりが最優先されることには疑問を呈していた。広川自身は吹き替えにある程度慣れると台詞を生かす方に力を入れるようになり、その結果アドリブをするようになったという[33]。
表現者や演者などクリエーターを目指す人に対しては、「始めは模倣やモノマネからはじめてもいい。モノマネとはある意味その人をリスペクトしているということ。そこからそのモノマネを吸収、たまったものを発酵させてしっかりオリジナリティをもった表現者になってほしいと思うし、僕もそういう風にありたいと思っている」という趣の言葉を残している[33]。
先輩の羽佐間道夫とは声質が似通った部分があり[34]、吹き替えで同じ俳優を担当することがあった。
『ローマの休日』ではフジテレビ'72年版とテレビ朝日版の2バージョンに渡って美容師のマリオ・デラーニを演じているが、広川はアドリブで所謂オネエキャラにアレンジし、広川以外がマリオを演じた後発のバージョンでも踏襲されるようになった[35]。2024年に4K版が劇場公開されることになった際にはテレビ朝日版が選ばれたが、配給を担当するTCエンタテインメントは広川がマリオを演じていることが理由の一つになったことを明かしている[36]。
『Mr.BOO!』シリーズがフジテレビで放送された際、担当したマイケル・ホイの台詞が「もたもたして古臭い。吹き替えで面白くしないと」と感じ、ディレクター(春日正伸)と相談してオリジナルにない「広川節」を連発しヒットした。2005年にシリーズのDVDが発売された際には、一部を除いて当時の吹替が収録。発売記念で来日したマイケル・ホイは会見で「(人気の理由の)一つにはこの広川さんの声の吹き替えがあったから。彼の吹き替えは生き生きしていて本当に素晴らしい!」と語り、広川との対談も実現した[37]。
「007シリーズ」以降、ジェームズ・ボンド演じるロジャー・ムーアの吹き替えをフィックスとして多く担当[38]。ムーアの吹き替えは、広川の”二枚目路線”を代表する仕事のひとつとなった[注 3]。2006年にDVD発売のため行ったシリーズの吹き替え新規制作では、当時のテレビ版吹き替えから広川のみが続投。結果的にこれは広川の最晩年を代表する仕事となった。演出を担当した福永莞爾は「印象に残っているのは、広川太一郎さんですね」「まったく元気そうでしたよ。別録りもせず、みんなと一緒に録ってますし、まったく(病気の)兆候はありませんでした。」などと話し、最晩年の広川のプロとしての矜持を感じさせる証言を残している[39]。
ラジオ関東の深夜放送『男たちの夜かな』では、私財をなげうち自らスポンサーとなっていた。女学生を中心に莫大な投書が寄せられ、シンナー中毒の女学生とその友人の話を聴くために自ら更生施設へ出向いたこともあったという。
子安武人は尊敬する役者に広川の名を挙げており、彼が死去した際には自身の公式ブログで「心の師逝く。」と題した追悼コメントを出した[40]。広川の甥である藤森崇多は、自身が公式動画などで様々な駄洒落(藤森自身は「おやじギャグ」とかけて「こやじギャグ」と称している)を披露していることについて、広川に影響を受けており、尊敬する「コヤジスト」であると発言している[41]。 太字はメインキャラクター。
出演
吹き替え
担当俳優
エリック・アイドル
モンティ・パイソン・シリーズ
空飛ぶモンティ・パイソン (1976年?1977年、本人)※東京12ch版
ラトルズ (1978年、本人、ダーク・マクィックリー、レポーターなど)※東京12ch版
モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル(1979年、本人)※劇場公開版
モンティ・パイソン・アンド・ナウ (1986年、本人)※ソフト版
ライフ・オブ・ブライアン(不明、本人)
人生狂騒曲(2002年、本人[42])
キャスパー(1998年、ディッブス)※日本テレビ版
エルヴィス・プレスリー
恋のKOパンチ(1972年、ウォルター・ガリック)※NET版
さまよう青春(不明、ディーク・リバース)
G.I.ブルース(不明、タルサ)
青春カーニバル(不明、チャーリー・ロジャース)
バギー万才!!(不明、グレッグ・ノーラン)
夢の渚(不明、トビー)
クエンティン・タランティーノ
フォー・ルームス ※ソフト版(1996年、チェスター・ラッシュ)
フロム・ダスク・ティル・ドーン (1996年、リチャードリッチー) ※ソフト版