広島電鉄
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12月1日 - 公安委員会により軌道敷内自動車乗り入れ禁止実施[37][55]


1973年(昭和48年) - 傘下の広島バスの独占禁止法抵触問題が、同意議決により解決[55]。後日、合意内容に基づき株式を増岡組に譲渡[56]

1982年(昭和57年)6月22日 - 広電興産が広電ストアに社名変更[57]

1991年平成3年)4月 - グリーンバーズ・ヒロデン設立[48]

1994年(平成6年)8月1日 - 現本社ビル竣工[58]

1995年(平成7年)10月 - 広電プラザがヒロデンプラザに社名変更する[48]

1997年(平成9年)

4月 - 貸切自動車部を廃止し、事業を広電観光に譲渡[58]

12月 - 広電タクシーが運輸事業を第一交通産業に売却し(現在の広島第一交通)、広電興産に社名変更する[59]


1998年(平成10年)12月 - 社内カンパニー制の導入[58]

1999年(平成11年)

1月 - エイチ・ディー西広島を設立[60]

3月 - 交通会館を設立[60]


2000年(平成12年)3月 - 東京証券取引所第二部に上場[60][補足 3]

2002年(平成14年)12月24日 - ひろでん中国新聞旅行を設立[60]

2003年(平成15年)10月1日 - ひろでん中国新聞旅行に広電観光の旅行部門と中国新聞トラベル・サービスを合併・統合[62]

2004年(平成16年)6月 - 宮島松大観光船が宮島松大汽船に社名変更[62]

2012年(平成24年)

3月9日 - 広島バスの保有する芸陽バス株の株式譲渡により芸陽バスを連結子会社化[63][64]

4月1日 - 呉市営バスから全路線を移管[新聞 1](呉市営バスは3月31日限りで事業廃止)[65][64]


2014年(平成26年)1月16日 - 社内カンパニー制を廃止[33]

2015年(平成27年)7月13日 - ミャンマーの国鉄へ路面電車を3台譲渡[66]

2020年令和2年)

1月22日 - 電車運転士に対するスマートフォン試験用アプリを使った運行支援・勤怠管理の実証実験を発表[67]

2月29日 - 宮島対岸の宮島口に新しい旅客ターミナル開業。4月2日には併設の商業施設「etto」(エット)オープン[新聞 2]


鉄道・軌道事業

鉄道・軌道事業は、2014年1月より電車事業本部が担当しており、その下に電車企画部、電車営業部、電車技術部を置いている[68]。軌道線6路線19.0km[69]と、鉄道線1路線16.1km[69]の総延長35.1kmの路線を持つ[70]。どちらも軌間1435mm[71]直流600V電化[71]。年間輸送人員は約5500万人(市内線 : 3780万8000人、宮島線 : 1719万3000人)[72]で、軌道線と鉄道線を合わせた輸送人員と路線延長は、路面電車としては日本一である[70][補足 4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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