広島電鉄
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4月1日 - 市内電車と宮島線の直通運転開始[37][51]


1960年(昭和35年)3月1日 - 広電興産(現在の広電ストア、現在の広電興産とは別)設立[51]

1961年(昭和36年)

2月1日 - 広電不動産設立[51]

6月1日 - やまとタクシーに資本参加[52]


1962年(昭和37年)11月28日 - 備北交通に資本参加[52]

1963年(昭和38年)

4月1日 - 広島交通と銀鱗タクシーが合併して広電タクシーが発足[52]

9月1日 - 軌道内への車両乗り入れが許可される[52]


1964年(昭和39年)3月28日 - 芸陽バスに資本参加[52]

1965年(昭和40年)10月12日 - 広電宮島ガーデンを設立[52]

1969年(昭和44年)7月16日 - 不動産部を創設し、不動産事業に本格参入[37][53]

1970年(昭和45年)広電プラザ(現・ヒロデンプラザ)設立[53]

1971年(昭和46年)

4月 - 広電住宅産業(現・広電建設)を設立[53]

8月31日 - 楽々園遊園地閉園[53]

9月10日 - 広島バスに資本参加[53][補足 2]}。

12月1日 - 公安委員会により軌道敷内自動車乗り入れ禁止実施[37][55]


1973年(昭和48年) - 傘下の広島バスの独占禁止法抵触問題が、同意議決により解決[55]。後日、合意内容に基づき株式を増岡組に譲渡[56]

1982年(昭和57年)6月22日 - 広電興産が広電ストアに社名変更[57]

1991年平成3年)4月 - グリーンバーズ・ヒロデン設立[48]

1994年(平成6年)8月1日 - 現本社ビル竣工[58]

1995年(平成7年)10月 - 広電プラザがヒロデンプラザに社名変更する[48]

1997年(平成9年)

4月 - 貸切自動車部を廃止し、事業を広電観光に譲渡[58]

12月 - 広電タクシーが運輸事業を第一交通産業に売却し(現在の広島第一交通)、広電興産に社名変更する[59]


1998年(平成10年)12月 - 社内カンパニー制の導入[58]

1999年(平成11年)

1月 - エイチ・ディー西広島を設立[60]

3月 - 交通会館を設立[60]


2000年(平成12年)3月 - 東京証券取引所第二部に上場[60][補足 3]

2002年(平成14年)12月24日 - ひろでん中国新聞旅行を設立[60]

2003年(平成15年)10月1日 - ひろでん中国新聞旅行に広電観光の旅行部門と中国新聞トラベル・サービスを合併・統合[62]

2004年(平成16年)6月 - 宮島松大観光船が宮島松大汽船に社名変更[62]
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