広島電鉄
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現在の会社は1942年昭和17年)4月10日に広島瓦斯電軌より分離設立された[9][10](詳細は「企業の歴史」を確認のこと)。日本最大の路面電車事業者[11]および中四国地方最大のバス事業者[12]で、2012年(平成24年)時点では電車、バス、不動産の3事業が広電の三本柱になっている[13]広電バスは青バスとも呼ばれる[14]

電子マネー(交通系ICカード)は、広島県バス協会が発行するPASPYの利用ができ、系列会社のエイチ・ディー西広島芸陽バス備北交通宮島松大汽船宮島ロープウエーでも利用できる[15]。また、PASPYエリアでは、西日本旅客鉄道(JR西日本)のICOCAが利用できる[16]。その他のSuicaPASMO等の交通系ICカードも利用できる。

社是は「協力一致 心からのサービス みんなで無事故」であり、『無事故の誓い』と『広島電鉄社員行動規範』も制定している[17]。また、「広島のワクワクを創造する」を広電グループの旗印(パーパス)としている[18]
企業の歴史1925年頃の本社
(広島瓦斯電軌株式会社経営電車沿線案内より)現在の広島電鉄本社

現在の会社は、1942年昭和17年)4月10日に「広島瓦斯電軌株式会社」(現在の広島ガス)から運輸事業を分離して設立された[9][10]。前身の会社を含めると、「広島電気軌道株式会社」として1910年明治43年)6月18日に設立された[19]

広島電気軌道株式会社として創立した当初は、大林組傘下の企業で同様の経緯によって作られた会社に広島ガスがある[20]。また、その2社は「広島瓦斯電軌株式会社」として1つの会社だった時期もある。大林組社主の大林芳五郎北浜銀行の破綻と、その資金支援のため広島瓦斯株式を1913年大正2年)から1914年(大正3年)に放出[21]。広島電気軌道も1916年(大正6年)、大林芳五郎の没後、後継者の大林義雄が株を継承したものの社長は空位[22]で、その後、大林組傘下を離脱[23]。両社とも、鈴木商店の支援を得て、実業家の藤田謙一に株式が売却されて、同時期に、同一人物が社長だったこと[21]、需要のピークがガスと路面電車で異なることにより[21]、広島瓦斯と合併した[21]

広島電気軌道

広島瓦斯電軌

広島電鉄

本社所在地は開業時および広島電鉄設立[24]より当地に置かれているが、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)の広島市への原子爆弾投下[25]から翌年の8月30日まで現在の広島市佐伯区楽々園に本社が置かれていた[26]。また広島瓦斯電軌時代は、現在の広島市中区大手町に本社を置いていた時期もある[27]

広島ガス統合時代に設立された財団法人広島瓦斯電軌学園は、太平洋戦争後は学校法人鈴峯学園(鈴峯女子短期大学、鈴峯女子中学校・高等学校〈現・広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校〉を設置)に改組・改称し、2012年3月31日時点では学園の理事・監事9人のうち、5人が広電および広島ガス関係者が占めていた[28]が、2015年4月に学校法人修道学園に吸収合併された。他に広島ガス統合時代の名残りとして、現在も広島電鉄の健康保険組合は「広島ガス電鉄健康保険組合」として、広島ガスと共同で運営している[29]

1955年末から1967年まで、プロ野球球団の広島カープ(現・広島東洋カープ)に共同出資企業の一つとして関与し、当時の広電の社長が球団社長を兼務したこともあった。

1998年時点では電車事業で約6億円の黒字があったものの、バス事業でそれ以上の赤字が出ていたため、相殺されて会社全体での黒字はほぼ不動産事業によるもののみとなっていた。


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