広島電鉄
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1969年(昭和44年)7月16日、開発部を拡充し、不動産事業本部の前身となる「不動産部」を新設した[13]。1970年(昭和45年)度より、鉄軌道部門・バス部門での赤字を補うようになった[312][13]

まずは小規模な住宅開発から行い、1969年(昭和44年)に中地(現・佐伯区八幡東)に8棟開発したのを皮切りに[13]、1970年(昭和45年)に城内(現・廿日市市城内)に5棟、原(現・廿日市市原)を開発した[13]

その後、住宅団地開発に本格参入し、1970年(昭和45年)に553区画の「観音台」[313]、1971年(昭和46年)に188区画の「月見台」[313][補足 21]、1972年(昭和47年)に956区画の「陽光台」[313]、1973年(昭和48年)より63戸の翠光台団地(現・口田五丁目)[314]、1974年(昭和49年)より最終的には2,500区画以上になる「毘沙門台」の販売を開始[315][補足 22]。1979年には357区画の広電己斐団地[314]1986年(昭和61年)に224区画購入し土地区画整理事業団地である「東観音台団地」[316][補足 23]、1991年(平成3年)に127区画を購入し同じく土地区画整理事業団地である「アメニティタウン仁保南[318][補足 24]、2010年には63戸の「宇品御幸」[314]を販売した。

マンション開発も行い、1975年(昭和50年)に「楽々園マンション」[315]、1989年(平成元年)に『ビューハイツ己斐上』[318]、1999年(平成11年)に「グランソシエ五日市」を販売した[318]。また2004年にはエレンシーレ宮島[320]、2008年にはアライヴコート西条駅前[320]の分譲を行った。

それらの開発は、鉄軌道沿線に限定せず、バス路線沿線も開発を行った[315]

その後、鉄軌道部門・バス部門の収益は改善し赤字ではなくなった[5]が、紙屋町などのオフィスビルの賃貸、一般向けに宅地・マンションの販売・仲介を行っている。

2012年(平成24年)には、広電ビルなどの建て替えで『広島トランヴェールビルディング』(「トランヴェール」はフランス語で「緑色の電車」を意味する)が開業した。
会社の各種データ
資本金の変遷

年月日金額備考
1910年(明治43年)6月18日
[129]3,000,000広島電気軌道成立日
1917年(大正6年)12月27日[36]6,000,000広島瓦斯と合併。広島瓦斯電軌成立日
1921年(大正10年)8月2日[36]10,000,000
1942年(昭和17年)4月10日[321]7,500,000広島電鉄成立日
1943年(昭和18年)11月15日[321]7,850,000
1947年(昭和22年)6月5日[321]16,000,000
1947年(昭和22年)11月26日[321]32,000,000
1948年(昭和23年)7月26日[321]65,000,000
1949年(昭和24年)10月10日[321]135,000,000
1952年(昭和27年)4月3日[321]220,000,000
1960年(昭和35年)4月1日[321]360,000,000
1961年(昭和36年)10月1日[321]450,000,000
1964年(昭和39年)2月1日[321]900,000,000[31]
2005年(平成17年)9月7日[321]2,150,000,000
2005年(平成17年)9月25日[321]2,335,625,000

歴代の社長

この節の加筆が望まれています。

広島電気軌道時代世代氏名在任期間備考
1代目大林芳五郎1910年明治43年)6月18日 - 1916年大正5年)1月24日[補足 25]

大林組店主、広島瓦斯取締役など兼任


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