広島電鉄
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1909年(明治42年)秋 - 広島電気軌道が軌道敷設申請を広島県に提出[34]。
1910年(明治43年)6月18日 - 広島電鉄の前身である広島電気軌道が設立[35]。
1912年(大正元年)11月23日 - 電車開業[35]。
1917年(大正6年)8月2日 - 広島瓦斯(現在の広島ガス)と合併、広島瓦斯電軌となる[36]。
1922年(大正11年)8月22日 -宮島線(己斐駅 - 草津駅間)開業[37][36]。
1925年(大正14年)7月 - 汽船による宮島連絡開始[38]。
1929年(昭和4年)
4月 - 広島乗合自動車の株式を取得の上、経営に参画(バス事業の始まり)[39]。
10月 - 直営による己斐-宮島間のバス事業開始 [40]。
1931年(昭和6年)2月 - 宮島連絡廃止[41]。
1936年(昭和11年)9月8日 - 楽々園遊園地開園[41]。
1938年(昭和13年)2月1日 - 広島乗合自動車を合併[42]。自動車部を設置する[39]。
1941年(昭和16年)4月1日 - 広島商業実践女学校(現・広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校)開校[42]。
1942年(昭和17年)4月10日 - 広島瓦斯電軌から運輸事業を分離して広島電鉄設立[42][43]。ガス部門は旧社名の広島瓦斯に社名を戻す[44][43]。
1943年(昭和18年)4月 - 従業員出征による人手不足を補うため、広島電鉄家政女学校を設立[45]。
1945年(昭和20年)
8月6日 - 広島市への原爆投下で市内線全線が不通となる[46]。本社を楽々園に移動[47][46]。
8月9日 - 6日の原爆投下による被害での運行停止から一部区間で市内電車運行再開[37][46]。
1946年(昭和21年)8月30日 - 本社が千田町に復帰[47][46]。
1949年(昭和23年)6月 - 広島証券取引所に株式を上場[48][49]。
1954年(昭和29年)6月10日 - 広電観光設立[50]。
1956年(昭和31年)8月1日 - 広島観光開発設立[50]。中国観光を買収[48]。
1957年(昭和32年)
6月 - 広島観光汽船を設立[48]。
7月10日 - 広島交通(タクシー会社、現在のバス会社とは別)を買収[50]。
10月13日 - 楽々園スパー開業[51]。
1958年(昭和33年)
3月16日 - 宮島松大観光船に出資[51]。
4月1日 - 市内電車と宮島線の直通運転開始[37][51]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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