広島電鉄
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他に広島ガス統合時代の名残りとして、現在も広島電鉄の健康保険組合は「広島ガス電鉄健康保険組合」として、広島ガスと共同で運営している[29]

1955年末から1967年まで、プロ野球球団の広島カープ(現・広島東洋カープ)に共同出資企業の一つとして関与し、当時の広電の社長が球団社長を兼務したこともあった。

1998年時点では電車事業で約6億円の黒字があったものの、バス事業でそれ以上の赤字が出ていたため、相殺されて会社全体での黒字はほぼ不動産事業によるもののみとなっていた。これを改革するため、バス事業の改革を念頭に1998年12月より社内カンパニー制が施行された[30][補足 1]。鉄道・軌道事業は電車カンパニー、バス事業はバスカンパニー、不動産事業は不動産カンパニーが、総務や経理などをM・Sカンパニーがそれぞれ担当、2012年4月には呉市営バスの路線を継承したがこれを担当するカンパニーとして呉バスカンパニーが設置された[32]。社内カンパニー制は2014年1月の機構改正で廃止されて本部制に移行し、鉄道・軌道事業は電車事業本部、バス事業はバス事業本部、不動産事業は不動産事業本部が担当している[33]
年表

各事業の詳細な歴史については「鉄軌道事業の歴史」「バス事業の歴史」の節、各社の記事を参照。

1909年明治42年)秋 - 広島電気軌道が軌道敷設申請を広島県に提出[34]

1910年(明治43年)6月18日 - 広島電鉄の前身である広島電気軌道が設立[35]

1912年大正元年)11月23日 - 電車開業[35]

1917年(大正6年)8月2日 - 広島瓦斯(現在の広島ガス)と合併、広島瓦斯電軌となる[36]

1922年(大正11年)8月22日 -宮島線己斐駅 - 草津駅間)開業[37][36]

1925年(大正14年)7月 - 汽船による宮島連絡開始[38]

1929年昭和4年)

4月 - 広島乗合自動車の株式を取得の上、経営に参画(バス事業の始まり)[39]

10月 - 直営による己斐-宮島間のバス事業開始 [40]


1931年(昭和6年)2月 - 宮島連絡廃止[41]

1936年(昭和11年)9月8日 - 楽々園遊園地開園[41]

1938年(昭和13年)2月1日 - 広島乗合自動車を合併[42]。自動車部を設置する[39]

1941年(昭和16年)4月1日 - 広島商業実践女学校(現・広島修道大学ひろしま協創中学校・高等学校)開校[42]

1942年(昭和17年)4月10日 - 広島瓦斯電軌から運輸事業を分離して広島電鉄設立[42][43]。ガス部門は旧社名の広島瓦斯に社名を戻す[44][43]

1943年(昭和18年)4月 - 従業員出征による人手不足を補うため、広島電鉄家政女学校を設立[45]

1945年(昭和20年)

8月6日 - 広島市への原爆投下で市内線全線が不通となる[46]。本社を楽々園に移動[47][46]

8月9日 - 6日の原爆投下による被害での運行停止から一部区間で市内電車運行再開[37][46]


1946年(昭和21年)8月30日 - 本社が千田町に復帰[47][46]

1949年(昭和23年)6月 - 広島証券取引所に株式を上場[48][49]


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