広南従四位白象
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^ ファン・ハイ・リンは、このことは当時のベトナムの南北対立の厳しさの一端を間接的に示していると論じている[1]。
^ それゆえ、幕府が象の渡来を要請したというのも、実は後づけの理屈ではないかという見方がある[12]。
^ ベトナム人象使いと清国人通訳の情報は、本島知辰『月堂見聞集』による[15]。
^ 厳密には、人間でも僧職にあるものは位階なしでも参内を許されることがあるなど、例外がないわけではない。
^ 律令制において従四位は従四位下と従四位上の二段階に分かれているが、『江戸名所図会』では単に「従四位」と記述されている。従四位下は近衛中将や検非違使別当、蔵人頭に相当する位階であり、江戸時代の武家では家門大名や老中などの重職に就任した大名、10万石以上の国主級の外様大名に与えられた位階である(→「四品以上に昇進する大名家一覧」参照)。明治時代の叙位条例では従四位以上は勅授とされており、宮内大臣が取り扱った。華族では男爵の初叙位階が正従いずれかの四位とされており、陸海軍では中将にほぼ相当した。
^ 4月28日は「象の日」となっているが、これは中御門天皇が象を謁見した日が由来となっている。
出典^ a b c d e f g h i j k (ファン・ハイ・リン 2018, p. 148-149)
^ a b c d e f g h i j k l m n o p q (ファン・ハイ・リン 2018, p. 151-152)
^ a b c d e f 『見る・読む・調べる 江戸時代年表』(2007)
^ a b 奈良本(1993)pp.188-191
^ a b 笠谷(1993)p.753
^ 和田(2015)pp.7-8
^ 林復斎等編『通航一覧』第四 巻之百七十五(清文堂、1967年)p.520
^ a b (ファン・ハイ・リン 2018, p. 144)
^ a b c 「安南紀略藁」pp.22-24, 28『近藤正斎全集.第1』(雀羅書房、1905年)
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