幻想文学
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またヨーロッパではアーサー王伝説も広く題材にとられ、『アレクサンドロス大王東征紀』を元にした「東方の驚異」に関する伝説(「アレクサンドロス大王からアリストテレスへの手紙」)や、プレスター・ジョン伝説がアジアへの幻想をかき立てた。18世紀初頭にはフランスの東洋学者アントワーヌ・ガランにより『千夜一夜物語』が紹介され、カーリダーサによるサンスクリット劇『シャクンタラー姫』は18世紀後半から英独仏語に訳されて、ゲーテらに影響を与えた。1819年にはフランツ・ボップにより『マハーバーラタ』から「ナラ王物語」がラテン語訳され、続いて各国語に広く訳される。ラブレーの風刺と嘲笑の物語「ガルガンチュワ」(ギュスターヴ・ドレ画)

ルネサンス期には、人文主義者トマス・モアが理想と風刺の題材としてのユートピアを著し、フランソワ・ラブレーによる民間伝承を元にした超人的な巨人の王によるグロテスクな笑いの物語「ガルガンチュワとパンタグリュエル」が民衆の人気を得た。
伝説の再発見

フランスでは16、17世紀にはシャルル・ペローによる民話収集などの他、民衆による迷信的な物語の延長上の「不可思議物語」が栄え、18世紀にはジャック・カゾットサドなど、想像力豊かな作品が生み出されていた。グリム兄弟はドイツの民間伝承を収集して『子供と家庭のメルヒェン集』(1812年)などとして刊行し、ハイネも『精霊物語』(1835年)でゲルマン民族古代神を取り上げ、続いて『流刑の神々』(1853年)ではギリシアの神々について述べ、また詩作に反映した。ルートヴィヒ・ティークらは、「民衆本」の民話などを題材にして創作したクンスト・メルヘン(芸術童話)を生み、自然礼賛の思想を育んだ。ゴーゴリは、当時ロシアで流行していた、故郷ウクライナの伝説を元にした創作『ディカーニカ近郷夜話』(1832年)で人気を得た。
文学潮流

近代におけるその系譜は、たとえばイギリスゴシック・ロマンスロマン派などといった潮流となり、19世紀には後期ロマン派、特にE.T.A.ホフマンの作品が各国に大きな影響を与えた。

19世紀には、幻想文学論「文学における幻想について」(Reveries litteraires, morales et fantastiques、1832)を書いたシャルル・ノディエや、テオフィル・ゴーティエら小ロマン派と呼ばれる作家達が活動し、コント・ファンタスティック(Conte Fantastique)という分野を形成する。またスウェーデンボルグなどの神秘思想に影響された作品(バルザック「セラフィタ」など)や、悪魔崇拝を題材にした作品(ユイスマンス『彼方』など)も生まれた。ドイツやフランスのロマン派作品が翻訳されたイギリスでは、産業革命によって押し進む合理主義社会で、人間性回復のための文学として、ジョン・ラスキンなどによる妖精物語が復権する。さらにラファエル前派や、フェビアン協会キリスト教的社会主義の影響を受けながら、昔話とは異なる別世界を舞台にしたチャールズ・キングスレールイス・キャロルジョージ・マクドナルドなどの物語が生み出された。[8] 世紀後半には象徴派リラダンなどによる作品が生まれ、20世紀にはハンス・ハインツ・エーヴェルス(ドイツ語版)やフランツ・カフカなど表現主義作家の作品、アンドレ・ブルトンらのシュルレアリスムや、レーモン・ルーセルの実験的作品が書かれた。ロシアでは、ロマン主義や象徴主義の影響を受けた、プーシキンウクライナの伝説を小説化したゴーゴリチェーホフアレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイらの怪奇的、幻想的な作品がある。20世紀にもザミャーチンブルガーコフの風刺的な作品が書かれたが、社会主義リアリズムによりほぼ黙殺される状態が続き、ソビエト連邦の崩壊によってそれらの再評価がなされている。


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