幹部候補生_(日本軍)
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一年志願兵のうち「勤務ニ熟達シ且品行方正ニシテ予備士官ノ教育ヲ授クルニ堪フ可キ」[* 11]と認められた者は入隊から6か月で上等兵に進級し、隊内で特別教育をされながら下士官と同様の勤務をしたのち満期の際に学科と実地の試験を受け、及第者は終末試験及第証書を授けられ二等軍曹[* 12]として予備役に編入される[4]。予備役将校の補充が必要とされる場合は、前述の終末試験及第証書を持った一年志願兵出身者を予備役編入の翌年に最低3か月予備見習士官[* 13]として勤務演習に召集し、最後に試験を行って及第した者を予備少尉として任官させ、試験に落第した者は曹長または一等軍曹[* 14]となった[5]。一年志願兵は憲兵科・屯田兵科以外の各兵科に置かれ、軍吏部(後の経理部)、衛生部、獣医部の予備役幹部となる者も関連する兵科に入隊した。

1893年(明治26年)、一年志願兵条例の改正(勅令第73号)により一年志願兵は原則として兵営に居住し被服、弾薬等の費用と兵器修理費として62円のほかに糧食費として38円を納め、騎兵はさらに75円を納めると改められた[6]。その後、一年志願兵出身の予備役将校の有用性は日露戦争での投入事例により確固たるものとなる。何度かの条例改正ならびに新条例[7]により兵科や衛戍地選択の自由が無くなり、納付する諸費は物価に合わせ上昇し、予備役期間は最終的に6年4か月まで延長するなど細部を変更しながらも、明治から大正時代を経て1927年(昭和2年)に廃止されるまで一年志願兵制度は存続した。最終期の一年志願兵として1928年(昭和3年)に各兵科の予備役少尉あるいは各部の予備役少尉相当官に任官する資格を得た者は兵科が3818名、各部が588名である[8][* 15]

ほかに1889年11月の改正徴兵令(法律第29号)で定められた師範学校を卒業した教員に限定される六週間現役兵の制度[9]が、1919年(大正8年)12月より一年現役兵と改められた[10]。一年現役兵は現役満期の際に軍曹に任じられ国民兵役へ編入されるが、予備役将校となることを希望する者は志願により一年志願兵と同様に終末試験を受けることが1927年の廃止まで可能であった。
幹部候補生制度(旧制)

1927年(昭和2年)、徴兵令が改正され兵役法(法律第47号)として12月1日より施行された[11]。新たな法律では一年志願兵の規定が無くなり、兵役法施行令(勅令第330号)によって一年志願兵条例も廃止された[12]。かわって予備役士官[* 16]の補充には同時に施行された改正陸軍補充令 (勅令第331号)第52条で幹部候補生制度が定められたのである[13]。ただしこの時点での幹部候補生は修業期間中の食料、被服、装具等の費用を自己負担することが定められ[* 17]、なおかつ原則では無給(演習召集と戦時または事変の際を除く)であり[14]、一年志願兵の制度を色濃く残したものであった。

幹部候補生は各兵科[* 18]および経理・衛生・獣医の各部に設定された。幹部候補生の有資格者は年齢17歳以上28歳未満(志願する年の12月1日時点)で陸軍大臣の定める身体検査に合格のうえ規定の条件を備えた者が該当し、かつ配属将校が行う学校教練の検定に合格し、予備役および後備役士官となることを志願する者とされた。配属将校とは1925年(大正14年)、陸軍現役将校学校配属令(勅令第135号)[15]により、官立と公立の中等教育以上の学校[* 19]に男子生徒・学生の教練を指導するため配属が定められた現役将校である。幹部候補生の資格条件は次のとおり(1927年12月時点)。
各兵科
次のいずれかひとつに該当し、最終学歴の学校教練検定に合格していること。

配属将校が在職する学校(研究科、選科等の別科を除く)を卒業した者。

配属将校が在職する高等学校高等科、または大学令による大学予科1年の課程を修了した者。

配属将校が在職する陸軍大臣が高等学校高等科と同等以上と認めた学校の予科1年の課程を修了した者。

各部
兵科幹部候補生と同様の条件を満たし、かつ次の条件を備えること。

経理部 ― 法律、経済、商業いずれかに関する学科の専門学校または同等以上の学校を卒業した者。

衛生部 ― 軍医:医師免許を有するか受ける資格のある者。薬剤官:薬剤師免許を有するか受ける資格のある者。

獣医部 ― 獣医師免許を有するか受ける資格のある者。

上に挙げた条件に適合する志願者から選抜のうえ幹部候補生が採用され、陸軍大臣の定めた部隊[* 20]入営し部隊内で予備役士官として必要な勤務と軍事学を習得した。幹部候補生は襟に特別徽章を付け、食事は将校団と共にすることを許されていた。

幹部候補生の入営修業期間は学歴によって2種類に分けられる。高等教育機関卒業者は10か月(志願した年の翌年2月1日入営)、それ以外の者は1年間(志願した年の12月1日入営)であった。さらに入営後の階級も各自が修了した教育程度によって区分されていた。1927年時点で改正陸軍補充令に定められた修業期間区分と、与えられる階級の基準は次のとおりである。
修業期間10か月の幹部候補生


大学の学部または予科、あるいは高等学校高等科を卒業した者。

専門学校、高等師範学校、または両者と同等以上の学校を卒業した者。

中学校卒業を入学程度とする修業年限2年以上の学校を卒業した者。

修業期間1年間の幹部候補生


上記以外の者。

修業期間10か月の幹部候補生


大学学部を卒業した者 ― 入営時に一等卒[* 21]、入営2か月後[* 22]上等兵、同4か月後伍長、同6か月後軍曹、同8か月後曹長。

それ以外の者 ― 入営時に一等卒、入営後3か月後上等兵、同6か月後伍長、同8か月後軍曹。

修業期間1年間の幹部候補生


入営時に二等卒[* 23]、入営後2か月後一等卒、同5か月後上等兵、同8か月後伍長、同10か月後軍曹。

上述の階級(各部の幹部候補生は、その部で一等卒から曹長までに相当する階級[* 24])を経て修業期間を終えた幹部候補生は終末試験を受け、その成績と平素の勤務成績によって合格・不合格を決定した。合格者はさらに銓衡(せんこう)会議のうえ兵科は少尉、各部はそれぞれの少尉相当官[* 25]に任じられる資格を得て、幹部候補生のまま予備役に編入された[* 26]。また不合格者も下士官に適すると判断された場合、そのままの階級で予備役に編入された。
幹部候補生制度(甲乙種制)

1931年(昭和6年)9月、満州事変が勃発すると、陸軍中央は大正末期から昭和にかけて質的改善のかわりに量的削減(いわゆる軍縮)を行ってきた軍備整理の方向を転換し、時局に沿った軍備充実が図られていった[16]

1933年(昭和8年)5月1日施行の陸軍補充令改正(勅令第71号)により、幹部候補生制度は変更を受けた[17]。新制度では食料、被服、装具等の費用を自己負担とする文言がなくなり、幹部候補生には手当が支払われた[18]。その一方で、新たに「現役兵トシテ概ネ三月以上在営シタル者」という条件が定められている。これにより幹部候補生は民間の有資格者の中から採用したのち各部隊に入営させるのではなく、徴兵検査時に幹部候補生志願を行い、現役兵として入営後3か月以上を経た者が選抜のうえ採用されるようになった。幹部候補生となる資格は次のとおりである(1933年5月時点)[* 27]
各兵科(技術に従事すべき者を除く)
次のいずれかひとつに該当し、軍学校、商船学校以外の卒業者は最終学歴の学校教練検定に合格していること。

配属将校が在職する学校(研究科、選科等の別科を除く)を卒業した者。

配属将校が在職する高等学校高等科、または大学令による大学の予科1年の課程を修了した者。

配属将校が在職する陸軍大臣が高等学校高等科と同等以上と認めた学校の予科1年の課程を修了した者。

陸軍士官学校予科、海軍兵学校、海軍機関学校、または海軍経理学校の1年の課程を修了した者。

文部省直轄商船専門学校の席上課程を修了した者。

技術に従事すべき各兵科、および各部
上に挙げた技術従事以外の兵科幹部候補生と同様の条件を満たし、かつ次の条件を備えること。

各兵科(技術従事) ― 工学または理学の学士、または工業に関する学科の専門学校を卒業した者。

経理部 ― 法律、経済、商業いずれかに関する学科の専門学校または同等以上の学校を卒業した者。


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