幹部候補生_(日本軍)
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8月18日、大陸命第1385号により全陸軍は「与エタル作戦任務ヲ解ク」とされ[41][42]、幹部候補生制度は終了した[* 36]。甲種幹部候補生は第13期が入校あるいは幹部候補生隊に入隊して間もなくのことであった。制度の根拠となっていた陸軍補充令は1946年(昭和21年)6月14日施行の「陸軍武官官等表等を廃止する勅令」(勅令第319号)により廃止された[43]
甲種幹部候補生の教育施設

学校教育・二年修業制への変更で甲種幹部候補生は軍学校に派遣しての教育が原則となったが、派遣先は兵科、部により様々であった。また兵科、部が同じであっても時局や幹部候補生が所属する部隊の所在地によって異なる場合があった。以下は1938年(昭和13年)から1945年(昭和20年)までに幹部候補生の教育が行われたと確認できる派遣先である[44][45][46][47][48]
各兵科
歩兵科の派遣先は陸軍予備士官学校がもっとも一般的であるが、候補生の総数に対して学校の規模が十分でなく、改正陸軍補充令附則第5条[22]にもとづいて陸軍歩兵学校陸軍教導学校などの施設を利用して教育する場合があった[49]。ほかに兵科・兵種によっては陸軍騎兵学校、陸軍戦車学校(のちに千葉陸軍戦車学校と改称)、陸軍公主嶺学校四平陸軍戦車学校陸軍野戦砲兵学校陸軍重砲兵学校、陸軍防空学校(のちに千葉陸軍高射学校と改称)、陸軍工兵学校陸軍通信学校、陸軍自動車学校(のちに陸軍機甲整備学校と改称)、陸軍輜重兵学校陸軍習志野学校などの校内に幹部候補生隊を編成して教育をした。航空兵科は甲種幹部候補生だけに限らず乙種幹部候補生も学校教育を基本として陸軍航空技術学校仙台陸軍飛行学校その他の航空関連諸学校で専門教育を行った。陸軍の諸学校以外にも陸軍船舶練習部、陸軍鉄道練習部、陸軍陸地測量部などへ派遣されて教育を受ける者もあった。また遠隔地の部隊に所属した幹部候補生には南方軍では南方軍幹部候補生隊、支那派遣軍では保定幹部候補生隊[50]緬甸(ビルマ)方面軍では緬甸幹部候補生隊[51]関東軍では奉天甲種幹部候補生隊などを組織して集団教育にあたった[* 37]。極端な例では関東軍が「予備士官学校」を満州国牡丹江省石頭に独自に設置して甲種幹部候補生を教育したという記述が一部に確認できるが、これは通称であり正式には「関東軍歩兵第二下士官候補者隊」(満州第604部隊)が編成を増強して甲種幹部候補生を入隊させ教育したものである[52]
各兵科(技術従事)― 1940年より技術部
陸軍造兵廠での教育のほか陸軍工科学校(後に陸軍兵器学校と改称)、陸軍兵器行政本部などでも幹部候補生教育を行った[53]
各部
経理部は陸軍経理学校[* 38]、衛生部は陸軍軍医学校、獣医部は陸軍獣医学校、法務部は陸軍法務訓練所など諸学校[54]のほか、遠隔地では南方軍経理教育部、南方軍衛生教育部などを組織して教育した。一部著述に見られる「新京陸軍経理学校」は通称であり、正式には「関東軍経理部幹部教育隊」(満州第815部隊)である[52]
特別甲種幹部候補生
制度設立の経緯

1927年(昭和2年)12月の制定以来、幹部候補生制度はすべて兵の階級から順を追って修業教育が行われてきた。一方、航空関係では操縦者に限り予備役将校の補充に1943年(昭和18年)7月、陸軍航空関係予備役兵科将校補充及服役臨時特例(勅令第566号)による特別操縦見習士官の制度が定められた[55]。特別操縦見習士官は飛行機操縦という高度な技能を短期間で修得させるために、優秀な人材源として特に高等教育機関の学歴を持つ者のみを採用するものであった[56][57]。また兵の階級を経ず採用とともに曹長の階級を持つ見習士官とすることで、身分取扱いを良くして海軍予備学生制度に対抗し十分な志願者を確保する狙いもあった[58]

特別操縦見習士官制度は大量の志願者を得ることができたが飛行機操縦者に限定されるものであり、海軍の予備学生制度は飛行科のほか兵科、整備科、機関科があった[59]。海軍にならい、陸軍でも地上の兵科および経理部の予備役将校補充の特例を制定することとなった。
特別甲種幹部候補生制度

1944年(昭和19年)5月、陸軍兵科及経理部予備役将校補充及服役臨時特例(勅令第327号)が施行された[60]。これにもとづき高等教育機関に在学する陸軍外部の志願者の中から選抜され、兵の階級を経ずに兵科[* 39]または経理部の予備役将校となる教育を受ける者が特別甲種幹部候補生であり[* 40]、場合により特甲幹と略された。太平洋戦争が切迫した戦局であり従来以上に急速に予備役将校を補充するために、速成教育に対応する能力があり、なおかつ将校の地位にふさわしいという条件を満たすよう採用資格を次のように規定した(1944年5月時点)。
兵科(憲兵および飛行機操縦者を除く)
次のいずれかひとつに該当し、配属将校の行う教練検定に合格していること。

大学令による大学の学部、または予科に在学する者。

高等学校高等科に在学する者。

高等師範学校、師範学校本科、または青年師範学校に在学する者。

陸軍大臣が上記と同等以上と認める学校に在学する者。

経理部
次のいずれかひとつに該当し、配属将校の行う教練検定に合格していること。

陸軍補充令第54条第1項第2号に規定する学校を卒業した者。

法律、経済、商業、または農業に関する学科の専門学校[* 41]に在学する者。

陸軍大臣が上記と同等以上と認める学校に在学する者。
陸軍補充令第54条第1項第2号に規定する学校とは、法律、経済、商業、工業(建築、土木、応用化学、染色、または紡績に限る)、または農業(農芸化学に限る)に関する学科の専門学校、あるいは陸軍大臣がこれらと同等以上と認める学校のことである[22]

上述の勅令では特別甲種幹部候補生の修業期間を1年6か月とし、採用された者は陸軍生徒として兵籍に編入され、陸軍予備士官学校、陸軍経理学校、または陸軍大臣の定める部隊に入校または入隊し、およそ1年間の集合教育を受けるとされた。集合教育の修了後は各部隊に配当され、将校となるのに必要な勤務をおよそ6か月間習得し、将校に適すると認められると少尉に任じられ予備役となる規定であった[* 42]。修業中に与えられる階級は次のとおりである(1944年5月時点の規定)。
兵科および経理部 特別甲種幹部候補生
入校または入隊時に伍長、6か月後に軍曹。集合教育修了後、部隊配備され2か月(通算1年2か月)後に曹長の階級に進み見習士官。

1944年5月、陸軍省告示第17号で特別甲種幹部候補生(以下、特甲幹と略)の召募が行われた[61]。志願者の資格は上記の学校におよそ1年以上在学し、同年3月31日の時点で満30歳未満の者であった。出願と身体検査は同年6月に行い、身体検査合格者には軍事学と作文の学科試験および口頭試問が7月に行われ採否が決定する。採用者の兵科(兵種)または部の区分は人物、学歴、特技、体格、本人の希望等を考慮し、陸軍の必要にもとづいて最終決定された。

特甲幹第1期採用は1944年10月に1万1000名(歩兵・砲兵のみ)、1945年(昭和20年)1月に7000名(歩兵・砲兵を除く兵科、経理部)の計画であった[62]。さらに1945年2月、陸軍省告示第3号で特甲幹第2期の召募(同年5月採用)が[63]、同年4月には陸軍省告示第16号で特甲幹第3期の召募(同年8月採用)が行われた[64]


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