幹部候補生_(日本軍)
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

1933年(昭和8年)5月1日施行の陸軍補充令改正(勅令第71号)により、幹部候補生制度は変更を受けた[17]。新制度では食料、被服、装具等の費用を自己負担とする文言がなくなり、幹部候補生には手当が支払われた[18]。その一方で、新たに「現役兵トシテ概ネ三月以上在営シタル者」という条件が定められている。これにより幹部候補生は民間の有資格者の中から採用したのち各部隊に入営させるのではなく、徴兵検査時に幹部候補生志願を行い、現役兵として入営後3か月以上を経た者が選抜のうえ採用されるようになった。幹部候補生となる資格は次のとおりである(1933年5月時点)[* 27]
各兵科(技術に従事すべき者を除く)
次のいずれかひとつに該当し、軍学校、商船学校以外の卒業者は最終学歴の学校教練検定に合格していること。

配属将校が在職する学校(研究科、選科等の別科を除く)を卒業した者。

配属将校が在職する高等学校高等科、または大学令による大学の予科1年の課程を修了した者。

配属将校が在職する陸軍大臣が高等学校高等科と同等以上と認めた学校の予科1年の課程を修了した者。

陸軍士官学校予科、海軍兵学校、海軍機関学校、または海軍経理学校の1年の課程を修了した者。

文部省直轄商船専門学校の席上課程を修了した者。

技術に従事すべき各兵科、および各部
上に挙げた技術従事以外の兵科幹部候補生と同様の条件を満たし、かつ次の条件を備えること。

各兵科(技術従事) ― 工学または理学の学士、または工業に関する学科の専門学校を卒業した者。

経理部 ― 法律、経済、商業いずれかに関する学科の専門学校または同等以上の学校を卒業した者。

衛生部 ― 軍医:医師免許を有するか受ける資格のある者。薬剤官:薬剤師免許を有するか受ける資格のある者。

獣医部 ― 獣医師免許を有するか受ける資格のある者。

幹部候補生に採用された兵はただちに一等兵の階級を与えられ、採用から3か月で成績により予備役士官となる甲種幹部候補生(場合により甲幹と略される)と、予備役下士官となる乙種幹部候補生(場合により乙幹と略される)に区分された。その後、陸軍大臣の定めにより部隊あるいは官衙[* 28]でその本務に必要となる勤務と軍事学を習得する。幹部候補生の修業期間は入営前の学歴による差がなくなり、甲種、乙種ともに入営日より起算し満1年までとされ、期間中の階級付与は次のとおり規定されていた(1933年5月時点)。
幹部候補生
現役兵として入営後3か月以上で採用時に一等兵の階級が与えられる。採用後3か月で甲乙種に区分。


甲種幹部候補生

区分時に上等兵、2か月後[* 29]伍長、2か月後に軍曹に進む。入営日より1年で満期。


乙種幹部候補生

区分時に上等兵に進み、下士官に必要な教育を受ける。入営日より1年で満期。

甲種幹部候補生は修業期間の終りに終末試験を受け、その成績と平素の勤務成績により合格・不合格を決定した。合格者はさらに銓衡会議により将校(各部の場合は将校相当官)となる可否の決定を受け、予備役に編入される。可とされた甲種幹部候補生は入営した年の翌々年に召集され[* 30]入営前の学歴区分により1か月または2か月のあいだ予備役見習士官[* 31]として士官勤務に服し、勤務が修了すると士官(各兵科は少尉、各部の場合は少尉相当官)に任じられる資格を得ることができた。乙種幹部候補生は下士官に任じられる資格を得て予備役となった。
幹部候補生制度(甲乙種制)甲種集合教育

1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件を発端とした日中戦争支那事変)が始まると、陸軍では大規模な動員が行われた。部隊の幹部である将校[* 32]と下士官は現役のみでは賄えないため、予備役将校、下士官の重要性が強く認識されるようになった。動員により出征した幹部候補生(あるいは一年志願兵)出身の予備役将校には優秀な者もいたが、現役将校と比べ指揮官としての任に堪えられるかが疑わしい者もあった[19]。陸軍中央は1年の幹部候補生修業期間では複雑化した戦闘を指揮し、進歩した兵器ならびに器材を運用する能力の付与には困難であり[20]、将校を養成する教育を各個の部隊に委任した点も原因であると判断した[19]

同年12月、従来の制度により各部隊内で修業を終え現役満期となった甲種幹部候補生は、そのまま引き続いて予備役見習士官として召集され、豊橋陸軍教導学校、陸軍歩兵学校陸軍工兵学校陸軍経理学校などで翌年1月より5月まで集合教育を受けた[21]。このとき初めて集合教育を受けた甲種幹部候補生が第1期とされ、以後の甲種幹部候補生は期ごとに数えられる。

1938年(昭和13年)4月、陸軍補充令の改正(勅令第137号)により幹部候補生制度は再び大きな変更を受けた[22]。改正理由書には「幹部候補生ノ能力向上ノ為之ニ学校教育ヲ施シ且二年修業制ト為シ又下士官ノ補充源ヲ拡張スル等改正ノ要アルニ由ル」と記されている[23]。より広範囲からの人員に、より即戦力となる充実した教育を行うためである。

幹部候補生となる第一の条件は「兵トシテ概ネ四月以上在営(召集ニ依リ部隊ニ在ル場合ヲ含ム以下之ニ同ジ)シタル者」と現役兵のみから補充兵などにまで範囲が広がり、同時に兵としての基礎教育を3か月から4か月へと1か月多く費やすよう設定した。ほかに採用の資格としてそれまで高等教育機関である専門学校以上の卒業を条件としていた兵科の技術従事[* 33]幹部候補生と経理部幹部候補生を、中等教育である実業学校以上の卒業者に緩和した。さらに経理部では採用資格条件となる学科の範囲を従来より広げた。幹部候補生の資格条件は下のとおりである(1938年4月時点)。
各兵科(技術に従事すべき者を除く)
次のいずれかひとつに該当し、軍学校、商船学校以外の卒業者は最終学歴の学校教練検定に合格していること。

配属将校が在職する学校(研究科、選科等の別科を除く)を卒業した者。

配属将校が在職する高等学校高等科、または大学令による大学の予科1年の課程を修了した者。

配属将校が在職する陸軍大臣が高等学校高等科と同等以上と認めた学校の予科1年の課程を修了した者。

陸軍士官学校予科、海軍兵学校、海軍機関学校、または海軍経理学校の1年の課程を修了した者。

文部省直轄商船専門学校の席上課程を修了した者。

技術に従事すべき各兵科、および各部
上に挙げた技術従事以外の兵科幹部候補生と同様の条件を満たし、かつ次の条件を備えること。

各兵科(技術従事) ― 工学または理学の学士、または工業に関する学科の専門学校を卒業した者。
工業学校を卒業した者も上記の規定に準じる。

経理部 ― 法律、経済、商業、工業、農業に関する学科の専門学校または同等以上の学校を卒業した者。
ただし工業は建築、土木、応用化学、染色、紡績に関する学科、農業は農芸化学に関する学科に限る。商業学校を卒業した者、工業学校または農業学校を卒業し、主として建築、土木、応用化学、染色、紡績、または農産製造に関する学科を修業した者も上記の規定に準じる。

衛生部 ― 軍医:医師免許を有するか受ける資格のある者。薬剤官:薬剤師免許を有するか受ける資格のある者。

獣医部 ― 獣医師免許を有するか受ける資格のある者。

1937年の幹部候補生採用数は兵科、各部の合計が6160名(そのうち甲種採用は4440名)であったのに対し、新制度の幹部候補生採用数は1938年が9511名(甲種5601名)、1939年が1万7666名(甲種1万995名)となった[24]

甲種幹部候補生は従来の各部隊内での教育から集合教育にかわり、新たに設立された陸軍予備士官学校をはじめとする各種の軍学校など(後述)でおよそ11か月の教育を受けると定められた。ただし航空兵科は特に高度な技能教育が必要となる者が大半のため、甲乙種区分前に所定の航空関係諸学校に入校し独自課程による教育を受けた。また兵科の技術従事幹部候補生は採用後ただちに陸軍造兵廠でおよそ1年間の教育を受けるとされた。各部の幹部候補生はそれぞれの職務に応じて所定の期間を学校あるいは官衙、部隊で集合教育を受けた。

改正によるもうひとつの主な変更点は、幹部候補生の修業期間である。それまで幹部候補生制度は一年志願兵制度の頃と大差なく修業期間が1年程度であり、一般兵よりも短かった。それを現役の新兵から採用された者は入営日から満2年まで、その他の兵から採用された者は採用から1年8か月と延長した。

1938年4月時点で改正陸軍補充令により定められた幹部候補生の過程と、与えられる階級は次のとおりである。
幹部候補生
兵として在営4か月以上。採用時に一等兵、採用後に部隊教育2か月[* 34]で上等兵、採用後3か月で甲乙種に区分。


甲種幹部候補生

原則として学校で教育。区分後1か月で伍長、さらに3か月後(採用から通算7か月後)に軍曹、教育修了後に曹長へ進み見習士官。


乙種幹部候補生

原則として部隊で教育。区分後4か月で伍長。区分後1年で試験、優秀者は軍曹。

教育課程を修了した各兵科および各部の甲種幹部候補生は曹長の階級に進み、部隊等で見習士官として初級将校の勤務を習得する。およそ4か月後に所属先の将校団による銓衡会議で可決されると、少尉に任官し予備役に編入された。乙種幹部候補生は採用後およそ1年3か月の後に試験を行い、その成績と平素の勤務成績により優秀者は軍曹となり予備役に編入された。
幹部候補生制度の終了まで

前述の学校教育・二年修業制となった陸軍補充令改正以後、1939年(昭和14年)からは幹部候補生の制度に大きな変更は行われなかったが、1940年(昭和15年)3月より衛生部に歯科医官が定められた。また同年9月にはそれまでの「各兵科の技術従事者」が技術部に改まり、1942年(昭和17年)4月に法務部が新設され、それぞれ幹部候補生を採用した。当該部の幹部候補生の資格は次のとおりである[25][26][27]
衛生部・技術部・法務部
兵科幹部候補生と同様の条件を満たし、かつ次の条件を備えること。

衛生部 (1940年3月以降)― 軍医:医師免許を有するか受ける資格のある者。薬剤官:薬剤師免許を有するか受ける資格のある者。歯科医官:歯科医師免許を有するか受ける資格のある者。

技術部(1940年9月以降) ― 工学または理学の学士、あるいは工業に関する学科の専門学校を卒業した者。実業学校令による工業学校を卒業した者も前者に準じる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:131 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef