幸田直子
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

幸田尚子」とは別人です。

こうだ なおこ
幸田 直子
プロフィール
本名佐藤 由美子(さとう ゆみこ)[1][2]
性別女性
出身地 日本北海道札幌市[2]
生年月日 (1959-03-22) 1959年3月22日(65歳)
血液型O型[3]
身長158 cm[3]
職業女優声優
事務所リマックス[3]
公式サイト幸田直子|リマックス

女優活動
ジャンルテレビドラマ舞台
声優活動
活動期間1979年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替え
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

幸田 直子(こうだ なおこ[注 1]1959年昭和34年〉3月22日[2] - )は、日本女優声優リマックス所属[3]北海道札幌市出身[2]
略歴

実家は開業医[2]。一人っ子だったため、両親は医師にしたかったという[2]

子供の頃から映画が好きで、当時から映画雑誌『SCREEN』を毎月買うことが楽しみだったという[2]

その時に「親の言うことは高校までしか聞かない」と高校卒業後、札幌から上京し、「監督もやってみたい」と思い、日本大学芸術学部映画学科演技コースに進学[2]

同大学芸術学部を受験に行った時は面接で「あなた実家が病院なの? だったら一浪しても医学部行ったら?」と諭されたが、「映画のことしかやりたくない」と意思を固めていた[2]。しかし、業界でなんとかやっていかないと札幌に帰郷しなくてはならなかったため、文学座研究所[4]に入所したが、研究生1年で出ることになり、「まだ受けられる劇団はないか」と探して見つけたのが劇団昴の養成所だった[2]

最初に付いた役はNHK総合テレビジョンの『銀河テレビ小説』の放送作品『幸せのとなり』の料理学校の生徒のひとりであった[2]

劇団昴に移った後、秋の研究生公演で主役を貰ったが、観に来ていた劇団昴のマネージャーが、「アテレコのオーディションに行ってみない?」と声をかけてくれた[2]。アテレコの最初の仕事は1978年、演出家の福永莞爾によるオーディションで選ばれたイタリア映画の『ウンベルト・D』であった[2]。台本を渡されたが、アテレコはしたことがなく、口が合ってるのかも全然わからないまま帰った[2]。憶えてないが、福永が後で幸田に「お疲れさま、じゃなくて、さよなら、って言って帰ったよ」と述べており、結局劇団から電話が来て「今回はダメだったよ」と言われ、「私は一生アテレコはできないんだ……」と思っていたという[2]

2、3週間した頃に突然、劇団から電話がかかってきて、東北新社に親戚か知り合いがいるかを問われ、「いないです」と答えたところ、東北新社からヒロインの声の話が来た。その後東北新社にリハーサルに行くよう勧められ、現場に行った[2]

当時は本名であったため、「昴から来ました佐藤由美子です」と言ったところ、「じゃあこれ台本だから」と台本を渡され、イタリア映画『酒とバラと亡霊と』のヒロイン役のバラ役に抜擢された[2]

その時は台本に印を付けていいかも全然わからず、当時はフィルムであったことから、映写室に連れて行かれ、小さなモニターを前に「これ1回観ながら(アテレコを)やってみて」と言われた[2]。喋ろうとして口を動かす間に、自分の役が通り過ぎていき、「キャー!」と驚く声もあったが、どうやっていいのかわからず1回見終わり「私にはできない!」と呆然としていた[2]。そうしていたところ、演出の小柳剛が、音が入ったカセットテープを貸してくれて、「このカセットテープを聴いて勉強してきなさい」と言われていたという[2]

抜擢された理由は、演出の福永が憶えており、ヒロインを探していた小柳から相談を受けた時に推薦してくれたとのこと[2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:96 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef