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これは歳差運動と呼ばれる[13][14]。そのため、実は春分点への回帰を根拠とする太陽年では地球の公転上の位置が一定しておらず、1年で地球の公転方向と逆に角度約50秒(公転時間約マイナス20)ずつずれてゆく[15]。これは地球上では、年々ずれる春分点と、遠い距離の恒星がつくる星座の位置が変わってゆく現象として観察される[13]。地球が正確に公転軌道を360度回転した「年」は、この恒星(慣性系)を基準にその位置が回帰した時間として定められ、これは恒星年と呼ばれる[16]
摂動の影響

基本的な天文学における1年を決める地球の公転はケプラーの法則に従う楕円軌道で定義され、歳差運動も一定ならば太陽年や恒星年に変化は生じないと思われる。しかし、ケプラーの法則は2つの天体についての運動をニュートン力学で解いたものであり、ここに第3の天体が加わると計算が非常に複雑となり、事実上近似値しか求められなくなる。このような他天体の影響による軌道の乱れは摂動と呼ばれる。サイモン・ニューカムはこれら摂動の影響を短い周期(短周期項)とゆっくりした周期(詳しくは長周期項と長年項)に分け、それらが断続的にケプラー運動の初期値に影響を与えると述べた[17]。そして、この摂動によって地球の公転軌道は徐々に離心率が小さくなり恒星年が短くなると説明された[18]。さらに摂動は自転軸の章動を起こし、公転速度に乱れを生じさせ恒星年に影響を与える[15]

また、公転軌道そのものも一定ではない。楕円の公転軌道も他惑星からの摂動によって回転しており、地球の近日点は1年で地球の公転方向側に角度約11秒ずつ(公転時間約4分)ずれてゆく。近日点通過後次に近日点の位置に地球がくるまでの時間を「近点年」(平均約365.25964日 [19])というが、この年は恒星年よりも約4分長い[15]
自転の変化

一方、「年」を地球の自転によって決まる「日」で定義する場合、この自転そのものが段々と減速している事も知られている。摂動や潮汐などの影響と考えられているが、古代の日食記録やサンゴ組織の「日」単位の粗密(日輪)の調査などから約5億年前の1日は短かったことが判明しており、当時の1年は約400日だったと考えられる[20]
人為的に定義された年

初期の人類が時間を認識する基礎は、季節の観念だったと考えられる。これは狩猟採集社会において獲物や収穫を左右する要因に大きく影響を及ぼしたからである。ただしその当時どこまで厳密な「年」の概念を持っていたかは定かでない[21]イギリスにある新石器時代の遺跡ストーンヘンジは一種の天体観測台であり、夏至冬至の時期を知るカレンダーの機能を持っていたと考えられる[22][23]
太陰暦と太陰太陽暦詳細は「太陰暦」および「太陰太陽暦」を参照

日次を認識する際、天体の相(満ち欠け)を起こす様子は便利だった。そこから新月から次の新月までの周期である1朔望月(約29.53日)を基礎に置いた暦である太陰暦が発達した[24]。この暦では、平均朔望月(約29.53059日[25])から1か月を29または30日とし、その12倍(太陰年=約354.36708日[25])を暦年と定めたが、季節の循環と毎年10日ほどのずれが生じることになった。この暦は遊牧民族漁撈中心の社会に適し、地域では古代メソポタミアエジプトギリシア中国で発達した[26]。現代でもイスラムで使われるヒジュラ暦は太陰暦であり、1年は354または355日となる[26]

しかし太陰暦は季節の期とのずれが激しく、気候変化に根付いた時間感覚との違和感が大きく農耕民族にとっては[26]使いにくい。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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