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自転の変化

一方、「年」を地球の自転によって決まる「日」で定義する場合、この自転そのものが段々と減速している事も知られている。摂動や潮汐などの影響と考えられているが、古代の日食記録やサンゴ組織の「日」単位の粗密(日輪)の調査などから約5億年前の1日は短かったことが判明しており、当時の1年は約400日だったと考えられる[20]
人為的に定義された年

初期の人類が時間を認識する基礎は、季節の観念だったと考えられる。これは狩猟採集社会において獲物や収穫を左右する要因に大きく影響を及ぼしたからである。ただしその当時どこまで厳密な「年」の概念を持っていたかは定かでない[21]イギリスにある新石器時代の遺跡ストーンヘンジは一種の天体観測台であり、夏至冬至の時期を知るカレンダーの機能を持っていたと考えられる[22][23]
太陰暦と太陰太陽暦詳細は「太陰暦」および「太陰太陽暦」を参照

日次を認識する際、天体の相(満ち欠け)を起こす様子は便利だった。そこから新月から次の新月までの周期である1朔望月(約29.53日)を基礎に置いた暦である太陰暦が発達した[24]。この暦では、平均朔望月(約29.53059日[25])から1か月を29または30日とし、その12倍(太陰年=約354.36708日[25])を暦年と定めたが、季節の循環と毎年10日ほどのずれが生じることになった。この暦は遊牧民族漁撈中心の社会に適し、地域では古代メソポタミアエジプトギリシア中国で発達した[26]。現代でもイスラムで使われるヒジュラ暦は太陰暦であり、1年は354または355日となる[26]

しかし太陰暦は季節の期とのずれが激しく、気候変化に根付いた時間感覚との違和感が大きく農耕民族にとっては[26]使いにくい。古代ギリシアの数学者メトンは、19太陽年と235朔望月にほぼ合うことを見つけ、太陰暦の19年に7度追加の月(閏月)を挿入するメトン周期を発案した[26]。これによると、1年は平均して365.263日となる。この周期はバビロニア[注釈 2]や中国でも独自に発見され、太陽年と太陰暦を置閏法で調整し特定の年を13か月とする太陰太陽暦が発達した[27]
太陽暦詳細は「太陽暦」を参照

地球の公転を基礎に置く太陽暦を発達させた古代文明にエジプトがある。この地で発達した根底には一定の期間で発生するナイル川の洪水があった。これを基準に季節を3つの期に分け、アケト(洪水)、ペロイェト(芽生え)、ショム(欠乏)と呼んでいた[28]。この期がそれぞれ4朔望月とほぼ一致することから、当初はエジプトでも太陰暦が用いられていた[28]。ところが彼らは、洪水が起こり始める夏の時期には太陽が昇る直前の東の空にシリウスが輝くという天文現象に気づいた。エジプト人はシリウスをソプデトと崇め、夏至を基準とする暦法を作り出した。当初、これは朔望月を基準に3年に1度閏月を加える1年を354日とする「太陰星暦」とも呼べる暦法だったが、紀元前2700年ごろに1か月を30日とし別に5日の祭日を設けた1年を365日とするシリウス暦に改められた[28]。この30日の12倍に余りの5日を1年とする暦法は古代エチオピア[29]古代インドのパーシ教徒[30]でも用いられた。古代エジプトでは、やがてシリウス(恒星)と太陽の運行には若干の差がある事が認識され、プトレマイオス3世治世時に4年に1度閏日を加え、1年を平均365.25日とする暦法が制定された[31]ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)

共和政ローマの実権を握ったガイウス・ユリウス・カエサルは、紀元前46年に1年を平均365.25日とするエジプトの太陽暦を導入した[注釈 3]。彼の死後、一時混乱して閏年を3年に1度とする平均365.3333日の運用もなされたが、紀元8年にアウグストゥスが修正を施し平均365.25日へ戻された[31]ローマ帝国の拡大に伴い、ユリウス暦はヨーロッパのほぼ全土・アフリカ北部から中近東に至る広い地域で用いられた[31]。このユリウス暦でも1年当たり約11分14秒長かったため、やがて春分日との誤差が顕著になった。1582年、ローマ教皇グレゴリウス13世によって400年間に97回の閏年を設けるグレゴリオ暦へ改暦され、1年は365.2425日となった。この年単位は当初はカトリック諸国のみの採用に留まっていた。しかし暦として優れている点が徐々に認められ、プロテスタント諸国には18世紀以降、ギリシア正教諸国も19世紀には、非キリスト教国では1873年の日本 [注釈 4]を皮切りに、20世紀中には世界中のほとんどの国が採用する西暦(世界標準暦)として用いられるようになった[32]
マヤ暦
詳細は「マヤ暦」を参照

メソアメリカ文明では、エジプトとは独立に太陽暦を確立していた。メソアメリカには20日の月が18と5日の余日から構成される365日を1年とする暦と、13日の数字による周期と20日の日名による周期が別々に動き、260日で元に戻る宗教暦が用いられた[33]
ユリウス年詳細は「ユリウス年」を参照

天文学では計量単位としての「年」として、1年を正確に365.25とするユリウス年を用いる。したがって、1ユリウス年は、国際単位系における31 557 600(正確に)と定義されている[34]
ユリウス通日

日付(年月日)と日数が、改暦による時期やそれぞれの地域によって統一されていないことから生じるさまざまな不具合に対して考案された基準がユリウス通日(または、「ユリウス日」)である[35]。ユリウス通日は、紀元前4713年1月1日(または、-4712年1月1日)の正午を起点とした通日である。1582年に実施されたユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦によって、さまざまな混乱が生じることを懸念して、スカリゲル(ジョゼフ=ジュスト・スカリジェ(英語版))(1540年-1609年)が考案した。
派生単位.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。decade、千年紀、ミレニアム、世紀、半年、quarter

10年を「十年紀」(decade)[36][37]1000年を「千年紀」(ミレニアム)と呼ぶ。また、100年を「世紀」と言うが、これは西暦元年から100年刻みの時代区分を指す[38]

1年の半分の6か月のことを「半年(はんとし、はんねん)」という[39]


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