平等院鳳凰堂
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以上のことを踏まえ、建築史家・冨島義幸[4]は、鳳凰堂の阿弥陀像には密教の阿弥陀如来としての一面があり、鳳凰堂全体が阿弥陀曼荼羅を表しているとする[2][5]。なお、阿弥陀如来像の光背の最上部にある化仏は大日如来像である。

平安時代後期の京都では、平等院以外にも皇族・貴族による大規模寺院の建設が相次いでいた。藤原道長寛仁4年(1020年)、無量寿院(後の法成寺)を建立し、また、11世紀後半から12世紀にかけては白河天皇勅願六勝寺法勝寺を筆頭に、尊勝寺最勝寺円勝寺成勝寺延勝寺)が今の京都市左京区岡崎あたりに相次いで建立された。しかし、これらの大伽藍は現存せず、平安時代の貴族が建立した寺院が建物・仏像・壁画・庭園まで含めて残存するという点で、平等院は唯一の史跡である。しかし、その平等院も昔からのもので残っているのは鳳凰堂のみとなってしまっている。
平等院領

平等院には創建当初から藤原頼通によって寺領が施入されていたが、実質的には平等院の主である頼通の管理下にあった。治暦3年(1067年)10月、頼通は後冷泉天皇が平等院に対して封戸300戸を施入したのを機に、平等院の荘園不輸の権を認めて欲しいと願い出て、その要望を認めて平等院領9か所に不輸の権を与える太政官符を得て、官使の検分のもと四至?示を行われ、立券荘号が行われた。翌年3月、後冷泉天皇が病に倒れると、頼通は3月28日には先の9か所の平等院領荘園に対する不入の権の適用を求める申請を行った。頼通は翌29日に改めて9か所の不輸の権・不入の権を認める太政官牒の発給を受けた。そして、4月19日に後冷泉天皇が崩御し、頼通とは疎遠であった後三条天皇が即位して延久元年(1069年)には有名な延久の荘園整理令を出した。摂関家の荘園も整理令の対象とされたが、頼通が先帝・後冷泉天皇の崩御の直前に駆け込みで得た平等院領の太政官符・太政官牒が荘園の公験として有効とされて整理を免れた(延久の荘園整理令は有効な太政官符・太政官牒を持たない荘園を整理対象としていた)[6]

その9か所の全てについては明らかではないが、山城国紀伊郡芹川荘、摂津国住吉郡杭全荘、同国島下郡平田荘河内国河内郡玉櫛荘、近江国高島郡子田上荘、同郡河上荘の6か所を含んでいることが知られている。頼通の没後、平等院領は殿下渡領と並んで藤氏長者の支配する所領の中核として位置づけられ、代々の摂関が継承してきた。鎌倉時代後期の嘉元3年(1305年)に作成された『摂?家渡荘目録』(「九条家文書」)によれば、平等院領は12か国に18か所あったという[7]
中世

頼通の晩年、摂関の地位を巡って弟の藤原教通と衝突し、曾孫の藤原忠実の時代にも叔父の藤原家忠との衝突や御堂流から閑院流への摂関家交代の動き(未遂)が起こるなど、道長?頼通の嫡流とされた御堂流摂関家の立場は不安定であった。その中で忠実は嘉承元年(1106年)に御堂流摂関家の正統性を誇示する儀式として、「宇治入り」を実施した。これは藤氏長者(摂関)就任から1?2年以内に平等院を参詣して就任の報告・御礼をするとともに、平等院の経蔵(現在は廃絶)に安置されていた仏舎利空海請来とされる愛染明王、その他歴代当主が納めた宝物などの所在を確認するもので、その後藤氏長者(摂関)の就任儀礼の1つとして鎌倉時代まで行われていたことが知られている[8]

治承4年(1180年)5月に起こった以仁王の挙兵の際には以仁王側の源頼政が「橋合戦」で敗れ、当院の「扇の芝」で自害している。寿永3年(1184年)1月にはすぐそばで宇治川の戦いが行われている。承久3年(1221年)に起きた承久の乱の際には、当院は鎌倉幕府軍の大将である北条泰時北条時房の本陣が置かれ、付近で合戦が行われている。

平等院は創建以来園城寺の末寺で藤原氏ゆかりの寺院として栄華を誇っていたが、南北朝時代建武3年(1336年)1月の戦い(建武の乱の一つ)で足利尊氏楠木正成の合戦に巻き込まれ、鳳凰堂(阿弥陀堂)以外ほとんど焼失してしまった。

室町時代になると、園城寺の院家である円満院院主が平等院の住職を兼ねるようになった。しかし、平等院は次第に荒廃していった。文明17年(1485年)には山城国一揆が発生し、南山城国人衆や農民らが当院に入って評定を行っている。

戦国時代明応年間(1492年 - 1501年)には浄土宗の栄久が廃れていた平等院を修復するために、塔頭・浄土院を創建している。天正10年(1582年)には円満院院主による平等院住職兼務は終わりを迎え、江戸時代慶長15年(1610年)には、ついに園城寺は平等院を放棄するに至っている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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