平沼赳夫
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2014年の第186回国会において、大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長のいずれの要職にもついていなかったのみならず、質問、議員立法、質問主意書提出のいずれもなかったことが指摘された[53][54]

新宗教である生長の家の聖典の一つである、『生命の實相』を愛読書とする[55]。「私は母から薦められた谷口雅春先生の『生命の實相』によって唯物思想から脱却した」などと述べており、生長の家本流運動諸派の一つ『谷口雅春先生を学ぶ会』[56]の支持を受けた。

皇位継承問題では女系天皇を容認する皇室典範改正に反対していて、日本会議国会議員懇談会会長として反対の論陣を張る。同典範改正問題では皇室典範に関する有識者会議皇室の専門家は一人も含まれていないこと、国会での審議時間が実質2日程度であること、また同有識者会議のメンバーの一人である岩男寿美子ェ仁親王に対し不敬とも受け取れる発言をしたことなどを問題視、激しい批判を加えている。天皇と習近平の特例会見問題では、創生「日本」(平沼は同会の最高顧問)や日本会議国会議員懇談会の会長として「会見を中止すべき[57]」「小沢氏の強権で認めたことが明らかになってきた。国民各界各層が反対を表明しないといけない」と民主党政権を批判し、天皇の訪韓にも反対するとした[58]

2010年(平成22年)にロシア北方領土択捉島軍事演習をした際は、ロシアに抗議する旨の声明を公式ホームページにて発表した[59]

日中国会議員書画展へ書画を提供している[60]

身長175cm、体重75kg、血液型はA型[61]

選挙歴

当落選挙執行日年齢選挙区政党得票数得票率定数得票順位
/候補者数政党内比例順位
/政党当選者数
第34回衆議院議員総選挙1976年12月05日37旧岡山1区無所属1万7080票3.68%59/9/
第35回衆議院議員総選挙1979年10月07日40旧岡山1区自由民主党4万5584票9.60%57/10/
第36回衆議院議員総選挙1980年06月22日40旧岡山1区自由民主党8万6850票17.39%51/9/
第37回衆議院議員総選挙1983年12月18日44旧岡山1区自由民主党6万3898票13.16%55/7/
第38回衆議院議員総選挙1986年07月06日46旧岡山1区自由民主党7万2673票14.23%54/7/
第39回衆議院議員総選挙1990年02月18日50旧岡山1区自由民主党8万5648票16.16%54/8/
第40回衆議院議員総選挙1993年07月18日53旧岡山1区自由民主党7万5521票14.91%53/8/
第41回衆議院議員総選挙1996年10月20日57岡山3区自由民主党13万101票65.32%11/3/
第42回衆議院議員総選挙2000年06月25日60岡山3区自由民主党12万6003票64.07%11/3/
第43回衆議院議員総選挙2003年11月09日64岡山3区自由民主党12万5949票67.27%11/3/
第44回衆議院議員総選挙2005年09月11日66岡山3区無所属9万9931票48.97%11/4/
第45回衆議院議員総選挙2009年08月30日70岡山3区無所属9万5871票46.61%11/4/
第46回衆議院議員総選挙2012年12月16日73岡山3区日本維新の会7万3752票44.77%11/4/
第47回衆議院議員総選挙2014年12月14日75岡山3区次世代の党7万3852票49.18%11/3/

主な所属団体・議員連盟

創生「日本」(最高顧問)[62]

日本の領土を守るため行動する議員連盟(最高顧問)[63]

日本会議国会議員懇談会(会長)[64]

真の人権擁護を考える懇談会(会長)[65]

神道政治連盟国会議員懇談会[66]

地下式原子力発電所政策推進議員連盟(会長)[67]

天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟(常任幹事・実行委員長)[68]

みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会[69]

財団法人岡山県遺族連盟(顧問)[70]

北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)(会長)[65]

国語を考える国会議員懇談会(会長)[71]

中国の抗日記念館から不当な写真の撤廃を求める国会議員の会(会長)[72]

公益財団法人無窮会(理事長)[73]

日華議員懇談会(会長)[14]

日本クルド友好議員連盟(顧問)[74]

略年譜

1939年昭和14年)

8月3日 - 東京市渋谷区代々木大山町に生まれた。現在の本籍岡山県岡山市[75]


1952年(昭和27年)

渋谷区立西原小学校卒業


1955年(昭和30年)

麻布中学校卒業


1958年(昭和33年)

麻布高等学校卒業


1962年(昭和37年)

慶應義塾大学法学部法律学科を卒業、日東紡績株式会社に入社


1973年(昭和48年)

3月 - 同社退社


1978年(昭和53年)


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