平沢進
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所謂「人気物」や「大量消費」という扱いを好まない為(自身は「ステルスメジャー」と名乗っている[185])、人気が出て来ると意図的にファンを裏切り、常にすべてと距離を保ち、ファンから自身との距離を取らせている[1]。TwitterやBSP配信では、フォロワー数が増えるとフォロワーやファン減らしの為の投稿や発言を敢えて行い、「平沢進」を疑わせ思考を促そうとする[186][187]

公式サイトやTwitter上での投稿はあくまでも仕事の一環として行っており、仮に個人的な利用なのであればプライベートな情報を日々公開する事は無いとしている[136]。投稿はTweetDeckより行っており、「ファンからのリプライは画面上に自動的に流れていく」としている[82]

2017年にはTwitterフォロワー数が9万人を突破したことを記念し、5公演内でスネアドラムを合計9万打目指すライブ『第9曼荼羅』が開催された[131]。なお、ゲストドラマーとして会人:鶴(TAZZ)またはP-MODEL改訂期の元メンバー、上領亘が参加した。その後、全公演通してのスネアドラムの打数が9万回を達成したことを記念して、音源「第9曼荼羅」が配信された[188]。また、2021年にはフォロワー数24万人を突破したことによりライブ『24曼荼羅(不死MANDALA)』を開催した[189]。なお、24曼荼羅ではドラムスにユージ・レルレ・カワグチが参加した[93]
エネルギー問題への関心

上述の通り、『Hirasawa Energy Works』では太陽電池を主とした発電システムを駆使し、自然エネルギーへ関心を寄せている。プロジェクト開始時は、120Wのソーラーパネル2枚のみをやぐら型のタワーに取り付け、残りの2枚は窓際に立てかけている状態であったが、後に4枚全てをタワーへ設置した。自宅スタジオの稼働を開始した初期はハードウェア・シンセサイザーやミキシング・コンソールを使用していたことで、電力使用に多大な制約が生まれていたが、後に全面ソフトウェア・シンセサイザー環境へ変更し、大幅な消費電力削減が図られた[190][191]

同様の発電システムからの電力供給により、ライブ会場からインターネットのストリーミング放送も行われている[192]

studio WIRESELF自体は幾度の移転を経ており、2013年から稼働されている現行のスタジオ「アロルの館」の屋根には4kWhのソーラー・パネルが乗っており、それ単体での蓄電は出来ないがスタジオを含めて家全体の電力が供給されている[193]

平沢は震災発生による大規模停電時も、自作の蓄電システムにより問題なく、自宅にて電力を使用できているとしている[194]

「Hirasawa Energy Worksの主眼は発想の転換にあります。それは、節約、忍耐、といった省エネのネガティブな印象さえ変えてしまいます。Hirasawa Energy Worksでは、すでに自然界に豊かに用意されている、エネルギーの原野でのピクニックとも言えるでしょう。ですからHirasawa Energy Worksは、「環境保護」や「地球にやさしい」という言葉を好みません。保護されているのは我々だからです。Hirasawa Energy Worksは、その保護者へとアクセスするための、胸踊る探検なのです。」と語っている[195]

また、エネルギー問題への意識に目覚めてからは、それまで所有していたシトロエン・エグザンティアインターネットオークションで売却し[196]トヨタ自動車プリウスを購入[197]。その後、2020年からは水素自動車であるトヨタ・MIRAIを所有している。

また、近場であれば自転車での移動を行い、用途によって通常のアップライト自転車とリカンベント(米Burley社のLimbo[198])を併用している。リカンベントは『RIDE THE BLUE LIMBO』のPVや、インタラクティブ・ライブ『LIMBO-54』などの作品で搭乗している。
戦争参加への抗議

平沢は幼少期、学生運動の映像を実兄である平沢裕一(平沢YOU1)と共に視聴し、裕一より何が起きているかを教えられた[199]

80年代後期に偶然訪れた老人ホームにて、太平洋戦争にて東南アジアへ派兵された元残留日本兵、菊池又衛に出会い、ガダルカナル島の戦いでの極限状態の体験を教えられた(詳細は「UNDOをどうぞ」を参照)。

1995年、1997年には東南アジアでの万国点検隊ツアーのDVDの売り上げを現地の老人ホーム、子供達の通う聾学校等にを寄付した[153]

2000年まで平沢は政治性のある抗議から距離を取っていたが、2001年のアメリカ同時多発テロ事件後、2003年から開始したイラク戦争でのアメリカの報復攻撃や自衛隊派兵へ等への疑問を持ち、同時期のソロアルバム制作中に訪れたカンボジア内戦大虐殺の痕跡を目の当たりにした事も合わさり、その抗議として「殺戮への抗議配信」をインターネット上にて配信、無料ダウンロード楽曲を2曲を発表する(詳細はBLUE LIMBOを参照)[200]

平沢は「背景にある政治的な利害や、平和主義に情緒的に賛同はしない」とし、「国家は利害で動きます。自分の属する国家が結果として殺戮を容認する姿勢を見せようと、国民の一人として私は「それには同意しない」と、今ここに反戦の意思を表明します。」と綴り、戦時下に留まらず、世界が子供達を犠牲にする事に対して怒りを表明した[201]

2003年から2009年までの期間にはディストピアを前面に押し出した『BLUE LIMBO』、『白虎野』、『点呼する惑星』を発表。


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