平沢進
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1984年にはP-MODELと並行して実験音楽サンプリングユニット『』を結成し、1996年までにシングル・アルバム含め6作品を発表している[38]。なお、当時のサンプリングマシンは非常に高価で個人が気軽に所有出来る物ではなかった為、平沢はラジオカセットレコーダー2台を改造して自作サンプリングマシン「ヘヴナイザー」を制作した[20]

また、1987年頃から関西のテクノユニット『4-D』の小西健司と共に「不幸を退治する」との名目でフロッピーの往復書簡で遠距離での楽曲制作を始める[39]。この時に制作された楽曲は1996年に「不幸のプロジェクト」名義でアルバム『不幸はいかが?』として発売された[16]
ソロデビュー

1988年12月、P-MODELは活動「凍結」を宣言し、活動休止となる[40]

1989年1月に所属事務所をMODEL HOUSEからアイスリープロモーションへ移籍。レーベルをポリドールと契約する。同年、アルバム『時空の水』でソロデビューした[41]

1991年にはロボットSFアニメデトネイター・オーガン」の音楽を担当する[42]。以降は劇伴製作にも進出し、HTB人間ビジョンスペシャル カムイ・ミンタラ 神々の遊びの庭・阿寒』や志摩スペイン村にて上演されたライブショー『ロストレジェンド?失われた大陸の伝説?』の音楽を担当した[43][44][45]。また、1992年には長野県茅野市からくり時計台オルゴールを作曲した[46][47][48]

なお、「カムイ・ミンタラ」のサウンドトラックは当時発売されず、その中で使用された楽曲である「カムイ・ミンタラ」のみが、1992年に発売したベストアルバム『魂のふる里』に収録された。完全収録されるのは2012年発売のボックスセット『HALDYN DOME』まで待つこととなる。

また、1991年9月にはP-MODELが「解凍」し、再結成を果たす。その後の詳細はP-MODEL#来歴を参照。

1994年にはディスクユニオン内に独自レーベル「DIW/SYUN」を設立。主に『旬』や『P-MODEL』関係のアルバムが発売された。また、同年にストーリー仕立ての観客参加型マルチメディア・コンサートとして「インタラクティブ・ライブ」を開始する[49]

また、1994年7月8日から翌年の1995年3月31日まで初の冠番組である『平沢進のテクノ実験工房』がFM群馬にて放送され、平沢と共に上野洋子(元ZABADAK)がパーソナリティを務めた[50]。同年10月28日、女子美術短期大学にてAMIGAによるコンピューターグラフィックス(CG)制作方法とインタラクティブ・ライブの解説を主題とした「平沢進講演会」が開催[51]

1996年には当時の所属していたレコード会社である日本コロムビア内に独自レーベル「TESLAKITE」を設立。第一弾としてシングル『サイレン*SIREN*』とアルバム『SIREN』を発売する[52]

同年、P-MODELのメンバーがそれぞれソロに別れて活動を行うプロジェクト「Unfix」が開始。その一環であるオールナイト・イヴェント『Unfix #3 コミュノ・ハイブリディア』が同年11月に新宿リキッドルームにて開催された。平沢を含むP-MODELのメンバー4人がそれぞれソロステージを行うというものだったが、平沢は当日になり急遽欠席。翌年の1997年にアイスリープロモーションを退社し、個人事務所であるケイオス・ユニオンを設立[53]。この際に送付された新事務所・ファンクラブ発足告知によると、前年の欠席の理由は「殺人的なスケジュール」による平沢の心身の不調だったものと書かれている[54]
個人事務所設立後の活動

1999年、P-MODELはMP3を使用してインターネット上で新曲を配信すると発表した[55]。この楽曲配信の弊害となる為、日本コロムビアとの専属契約を解除し、日経BP社の協力により配信サイト「P-PLANT」を立ち上げた。このMP3による楽曲配信は、メジャーレーベルで活躍してきたプロアーティストとして日本で初めての試みであった[56][57]

2000年12月、P-MODELが『培養』を宣言。平沢に活動再開の意思は無く、事実上の解散である[58]。同年には通算8枚目となるソロアルバム『賢者のプロペラ』をケイオスユニオンより発売。CD版とMP3版がそれぞれ制作・販売されており、アレンジが互いに異なっている[59]。本作以降は原則的にケイオスユニオン内レーベル「TESLAKITE」にて作品が販売される。

2000年代に入ってからは再びアニメやゲームの劇伴制作を行うようになり、2000年にはゲーム『ラグナキュールレジェンド』のテーマ曲として「星を知る者」を提供。また、同年に今敏によるアニメ映画『千年女優』の劇伴を担当する。以降、同監督作品『パプリカ』とTVシリーズ『妄想代理人』の劇伴を手掛ける。2006年公開の『パプリカ』の音楽は「東京アニメアワード 2007」にて個人部門・音楽賞を受賞し、米国での第79回アカデミー賞のオリジナル歌曲部門に『パプリカ』のエンディングテーマである「白虎野の娘」がノミネートされた[60][61][62][63]。その他、三浦建太郎原作のアニメ・ゲーム『ベルセルク』シリーズの劇中歌や楽曲を制作した[64]

2001年7月2日、プロジェクト『Hirasawa Energy Works』[65]がスタート。これは必要な電気エネルギーの全てを太陽発電に委ねて音楽製作を試みるプロジェクトであった。プロジェクト第一弾としてアルバム『SOLAR RAY』が製作される[66]。その後、太陽発電及びこのプロジェクトに賛同するファンの協力による自然からの蓄電(エナジーハンティング)のみを利用したライブ『SOLAR LIVE』[67] を敢行した。このプロジェクトはNHK BS2やTBSで特集された。翌年の2002年には『Hirasawa Energy Works』の第二弾として、P-MODELのほぼ全ての音源を網羅したボックスセット『太陽系亞種音[68] を発売。太陽発電を用いたスタジオである「Solar Studio(studio WIRE SELF 2002)」でリマスタリング[69] された。

2003年イラク戦争に対する抗議の意思を表すべく『殺戮への抗議配信』と題し、楽曲「高貴な城」「Love Song[2003年バージョン]」の無料配信を行った(詳細は「BLUE LIMBO」を参照)[70]。同年3月には坂田四郎名義でゆいこのシングル『陸の人よ』(アサヒビール『穣三昧』CMソング)の制作を手掛け[注釈 10]、10月にはNHKおかあさんといっしょ』内で放送される「地球ネコ」の作詞作曲をした[注釈 11][71](2006年12月にも再度放送された)。

2004年、P-MODELとは異なるものとして、『核P-MODEL』名義で活動を開始。同年10月に『ビストロン』発売後、断続的に活動を行う[72]


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