平沢進
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平沢を長年リスペクトしているとしている神聖かまってちゃんの子は、「俺は平沢さんを本当のロックの精神を持ったバンドマンだと思ってる。世の為人の為だとか、ファンの為だとか、文化貢献の為じゃなくて、ただただ自分が作りたい音楽を作ってる。戸川純と二大巨頭で、エベレストの天辺に居る。唯一無二。」と語っている[109]

過去のライブイベントやファンクラブ旅行などに協力してきた、 レコードショップ『ショップメカノ』店長である中野泰博は、平沢の音楽性を「現代のプログレ」と評している[110]

劇伴でもタッグを組んだアニメーション監督の今敏は、平沢の世界観を敢えて単純化すると「相反するものの同居」と評しており、今敏自身の表現に最も影響を受けていると語っている[111][112]

精神科医斎藤環は、「『音楽が直接世界を変えられるわけではない』『その当時の定義の仕方と距離感をおきたかった』と考えていた平沢は、その後も一貫して時流と対峙し、距離を測り続けてきた。」とし、「(10年周期で)定期的にファンを裏切り、常にすべてと距離を保っている」と評している[113]。また、「音楽業界では最も初期からデジタル・テクノロジーの可能性を追求し続けてきたアーティスト」とも評している[113]
楽曲

ソロ作品のほとんどは、アルバム全体を通して聴く事で世界観が完成するコンセプト・アルバムである。特に1994年からインタラクティブ・ライブを開始して以降はその傾向が強まり、7th『救済の技法』ではインタラクティブ・ライブ『WORLD CELL』のストーリーに沿ってアルバムが制作されている。ただし11th『点呼する惑星』では最初からアルバム中でストーリーが組まれ、それを解体、再構築する形でインタラクティブ・ライブのストーリーが作られている。

P-MODEL時代の音楽性の変遷と同等、あるいはそれ以上に、P-MODELからソロへの移行はかなり異質なものへの転換が意図されていた。その変化の大きさは、ソロ活動初期に寄せられた「こんな平沢に誰がした」という反応に大きく現れている[114]。これに対し平沢は、「結果それでこそヒラサワ、あるいは完全に裏切られたという反応を期待しており、それなりに成功したおかげで今日までソロ活動を続けることができた」と述懐している[115]

P-MODELとの主な差別化はストリングス・セクションの大々的な導入と、アコースティック・ギターの使用と述べている。ストリングスの音についてはメロトロンのような本人いわく暗い音を好んでおり[22]、現在はEast West社のHollywood Stringsを使用している[116]。12th『現象の花の秘密』ではこの音源を大々的にフィーチャーしている。かつてはソロでシャウトを使わないという制約も設けていたが、11th『点呼する惑星』の「Mirror Gate」で解禁した[117]

1994年、4作目となるソロ・アルバム『AURORA』からはゲスト・ミュージシャンを入れず、コンピューターAmigaを駆使し、一人でのソロアルバム製作を開始した[118]。インタビューで個人でのコンピューターインターネットを利用を開始した事について、「過去の経験全てが点と点が繋がる感覚で、想像が止まらない」と答えている[119]

歌唱において、軍人のような低い声にシャウトからオペラのようなファルセットまで様々な声色を使い分ける[120]。平沢の独特なヨーデルのような唱法を質問された際、「江戸時代の消防士である火消しが歌う、木遣りというものなんですけど、そこからアイデアを得たんです。」と答えている[121]

ソロデビュー前にはKORG M1を用いて、習作としてマンドレイク時代の楽曲『飾り窓の出来事』のエディットが行われており、長らく離れていたプログレにも接近している。このことから、中野泰博は平沢の音楽性を「現代のプログレ」と評している[110]。バンドにおける制約を排したなんでもありの音楽性が意識されている。

5thは当初90年代版ピンク・フロイドの『The Dark Side of the Moon』を意識したコンセプト・アルバムを制作する予定だったが、その途中でタイへと渡航し、そこで出会ったSP-2の影響を受け作風が大幅に変化した。同時期に活動を再開したP-MODELでの活動においても平沢ソロとの融合が図られ、民族音楽とテクノポップを融合したアジアン・テクノを打ち出した。

アジアン・テクノ路線も2000年の『賢者のプロペラ』以降は収束し、以降はアメリカ同時多発テロ事件イラク戦争への疑問から(詳細は「BLUE LIMBO」を参照)、初期P-MODEL以降距離をとっていたディストピア的な世界観を前面に押し出たメッセージ性の強い楽曲を多く発表するようになる。還弦主義8760時間における過去曲の弦楽的アレンジ作品のリリース、Hollywood Stringsを導入したアルバムの制作(『現象の花の秘密』)など弦楽的なアプローチを強める一方、核P-MODEL『回=回』やフジロック・フェスティバル2019での演奏からはサーフサウンドのスタイルも見て取れ、平沢ソロと核P-MODELとの融合が感じられる。
歌詞

先に楽曲を作成し、その音の制限内でテーマ上の歌詞を想像していくという手法を用いている[122]。活動初期に歌詞を捻出するのが難しかった頃は、先に歌詞を書き楽曲を作成していたが、楽曲を先に作り「制限を重ねる」事で寧ろ想像の幅が一気に広がったとしている[123]

80年代、平沢が精神的に不安定だった時期にユング心理学に傾倒するようになる[27]


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