平松晶子
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養成所では、年齢の違う人たちが多かったようであったが、学校の先輩ぐらいなものであったことから、部活の先輩と友人という感覚はなかった[13]。運動部に所属していたことから、例え1つしか歳が違わなくても年功序列の縦社会が当たり前な環境であったが、当初は「年上って怖い」と思っていたところがあったという[13]

養成所に通っていた人物たちは、就職していて働きながら通っている人物たちがほとんどであったが、普通に接してくれているように感じていた[13]。仲の良かった人物たちは皆10歳ぐらい年が上であったが、すごくかわいがってくれたという[13]。なにか失敗をしたとしても、当時は高校生だったため大目に見てくれて、一番年下だったことでずいぶんと得をしていたのだと語る[13]

周囲がライバルという意識も希薄であったことから、楽しんで勉強しており、仲間同士・人間同士として養成所の人たちと付き合いするのが楽しかった[13]。それと比べて「なんて高校はつまらないんだろう」、「学校って何するところなんだろう」と学校の在り方を考えていたりしており「こんなところでこんなことをしている場合じゃない!!私はもっと演技の勉強がしたい」と思っていた[13]。「大学進学はしない。」とはっきり自分の進路選択をしてしまったため、余計に学校での授業が無駄に感じていたのだと語り、「養成所の仲間といるほうが楽しい」と感じるようになったという[13]

養成所内での激しい競争については、歳が離れていたせいもありあまり感じておらず、上手な人ほど認めてくれたように思っていた[13]。当時のニックネームは「ブルマちゃん」であったが、「ブルマちゃんなら、絶対なれるからへこたれないで頑張りな!」と本気で応援してくれたり励ましたりしてくれたという[13]

東京アニメーション養成所卒業後は卒業公演も済み「どうしようか」と考えていた頃に養成所の講師から紹介してもらった賢プロダクションに預かりとして所属し、高校卒業後は同プロダクションに正式に所属[13]。その時は先生からみて「声質がアニメに向いている」と判断されて、同プロダクションを紹介してくれたのかもしれないという[13]。2005年時点で趣味でダイビングを始めるようになり普通の人物と話すようになったところ、その人物たちに「声の出方が違いますね」と指摘されたことはあったという[13]
キャリア

テレビアニメ『ドラえもん』でデビュー[6]。当時は過度な緊張により上手く演じることが出なかったという[6]

舞台女優としても活動している[6]。当初は卒業公演で舞台に強く惹かれ、その時の仲間で劇団を結成して活動し[13]、その後は千葉繁が主宰していたバーストマンに所属していた[14]

賢プロダクションに正式に所属が決まった頃、あまりにも舞台が楽しく、事務所に舞台のためにNGを伝えたりしてしまったこともあった[13]。当時は事務所の人物には「平松さん、声優の仕事したいんですよね?」と突っ込まれ、舞台が楽しくて仕方なかったという[13]

デビュー当時はOVA『バブルガムクライシス』に出演するも、収録が1年に2?3回あり、声優の仕事はほぼそれだけで、後は舞台という感じだった[6]

余計に緊張もし、3、4ヶ月前にしていた手ごたえを覚えられず、現場に行くたびに0からやり直しという感じだった[6]。繰り返すも、何にも積み上げていないように思い、長い間に楽しくなく、養成所で「演技が楽しい」と感じていたのが、一変して「私は声優に向いてない」と何度本気で思ったかもしれないという[6]

「辞めよう」とは思っておらず、『バブルガムクライシス』があったと、舞台は楽しかったため、現状維持という状態で続けていた[6]。負けず嫌いなため、「どうやったらスタジオ収録に行ったときの後ろ向きな気分を抜け出せるのだろう」と真剣に考えて、声優の仕事だけが越えられず、「いつか舞台と同じように自由に演じたい」という気持ちが続けられた要因だと語る[6]

仕事を始めた当初は緊張の連続であった[6]。仕事は修行、試練の場のような感覚で仕事の現場で「もっと私はできるのに」というフラストレーションを舞台で発散させて折り合いをつけていたように思ったという[6]

そんな状態だったことから、当然仕事がたくさん入り、忙しくなるということもなく、結構長い期間舞台をしていた[6]。事務所の人物に「平松さんは舞台を続ける気なんですか?こんなにNGがあっては仕事を入れられないよ。」と言われ、「私は本当はどっちをやっていきたいのだろう」と考えていた[6]

それまでに結構長い期間舞台にたずさわってきたことから、舞台も続けていけば楽しいだけでは当然なくなり、迷っていた時期に賢プロダクションのキャストだけで出演するアニメーションで初めて主役を演じる[6]。それまで舞台で演じることと、声優としてマイク前で演じることがイコールにならず、「私何やっているんだろう?」と虚しい気持ちになり、悩む時間もないスケジュールの中で主役を演じてくれたたため、常に本番も含めて喋り続けるという状態になった[6]

それをこなしていくうちに変な緊張がなくなっていき、余分な力が抜けたのかもしれないといい、主役だったため、たくさんの人物と絡んで台詞を喋ることで舞台でしてきた演技と声優としてのマイク前での演技がつながり始めた[6]。その仕事はひと夏かけてしていたが、終えた時に「もっと声優の仕事したいな」と思った[6]

それまでは後ろ向きで、「あそこに私の居場所はない」と思っていたぐらいだったことから現場に行っても行っても失敗し、ダメ出しをして落ち込んでという良くない循環をしてしまった[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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