平曲は、「曲節」と称される類型的な旋律の組み合わせによって構成されている[4]。そのうち、旋律をともなわない語りの部分は「語り句」、旋律をともなう句は「引き句」と称される。
「語り句」には、素声(しらごえ)、ハズミの2種がある[4]。
「引き句」は、
「口説(くどき)」の類
「拾(ひろい)」の類
「節(ふし)」の類
に分類される[6]。
「口説」類は、1つのシラブルに1音をあてて作曲され、四度ないし五度程度の音程を上下する比較的単純な旋律をともなうものであり、「拾」類は、シラビック
ではあるものの「口説」類に比較すると、より複雑で数多くの音を用いるものであり、「拾」のほか「上音」「下音」などと称される旋律をふくむ[6]。「節」類は、旋律の聴かせどころとなる部分であり、多くの場合メリスマとなって、「三重」・「中音」・「下り」などと称される旋律をふくんでいる[6]。これらの曲節は、具体的に例示すると、合戦場面で拾、一曲のクライマックスとなる韻文箇所では三重、和歌の部分では上音や下音など、詞章の内容や一曲における位置などに応じて互いに異なる曲節同士を組み合わせて全体を表現する[6]。そして、こうした曲節と曲節のあいだを結びあわせる地の部分には口説が用いられる[6]。 平曲はまた、言語学からみた場合、中世末から近世にかけての日本語のアクセントを知るための重要な音声資料となっている[6]。
言語学からみた平曲
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 平曲をはじめとする物語琵琶のなかに『浄瑠璃姫物語
^ 「歌いもの」は、旋律やリズムなど、その音楽的要素が重視される楽曲であるのに対し、「語りもの」は詞章が何らかの物語性をもつ楽曲であり、語られる内容表現に重点が置かれる音楽である。薦田(1990)p.116。また、吉川英史によれば、「語る」ことは、事件や事象を聴く人にわかるように伝達することを目的とし、そこに説得力が必要であるのに対し、「歌う」ことは感情を表現することを主目的であるとしている。吉川(1990)p.38-40
^ 卜部兼好の随筆『徒然草』226段によれば後鳥羽天皇の時代、遁世して天台座主慈円のもとにいた信濃前司行長が『平家物語』を著し、それを盲僧生仏に語らせたという。
^ 平曲の発生として、芸能史の立場から東大寺大仏殿の開眼供養の盲目僧までさかのぼると説かれることもあるが、平曲の音階・譜割の検討から、天台宗大原流の声明の影響下に発生したと考える説が有力である。
参照^ 吉川(1990)pp.37-38
^ 吉川(1990)p.42
^ a b c 国指定文化財等データベース(文化庁)
^ a b c d e 薦田(1990)p.116
^ 館山漸之進コトバンク
^ a b c d e f 薦田(1990)p.117
参考文献
吉川英史「語りもの」山川直治編集『日本音楽の流れ』音楽之友社、1990年7月。ISBN 4-276-13439-0
吉川英史「日本音楽の歴史」昭和40年6月。
薦田治子「平曲の旋律-〈卒塔婆流〉」山川直治編集『日本音楽の流れ』音楽之友社、1990年7月。
金田一春彦「平曲考」三省堂、1997年5月。
金田一春彦「平家正節」金田一春彦編著 三省堂、1998年7月。
関連項目
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