平成
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その後、国立公文書館が平成21年度秋の特別展「天皇陛下御在位20年記念公文書特別展示会」[51]を開催するために、竹下家と連絡を取って奉書紙を2009年9月に借り受け、特別展が終わり返却しようとしたところ、竹下家から保存の意向を受けて、翌2010年3月に正式に寄贈されることとなった[15][46][52]。これを受けて令和の奉書紙は、発表当初から公文書として扱うことが決定した[46][53][54]

国立公文書館では簿冊標題「平成(元号)の書」としてスキャン画像が公開されているが、原本は閲覧できない[55]。同館の常設展示室には通常、奉書紙の複製が展示されているが[56]、期間を限って原本を特別展示することもある[57]。なお、国立公文書館のショップではスキャン画像を元にしたクリアファイルが販売されている[58]
元号発表以前から存在した「平成」

「平成」発表後、それにちなんで命名された団体名や地名などは多い(後述の「平成を冠するもの」参照)。「平成」の選定過程で、政府は団体・企業や個人の名前に使われていないかを調査したが、インターネットによる事物検索が2024年(令和6年)現在のように普及していない時代であったこともあり、事前調査にも限界が生じて元号と同じ漢字表記となる人名や地名の把握は不完全であった[31]

そのため、人名では「たいら しげる」という読みの男性や、地名では「へなり」と読む岐阜県武儀町(現・関市)の小字などが、元号の発表以前から存在した「平成」として確認されている。元号の選定に携わった的場は中華料理店の屋号まで調べていたが小字までは手が回らず、これらの偶然の一致について「仰天した」と回想している[31][59]

このほか、三重県埋蔵文化財センターが開催する「おもろいもん出ましたんやわ展」の2015年(平成27年)開催分で、松阪市の朝見遺跡から出土した「平成」と書かれた平安時代中期の墨書土器が公開された[60][61][62][63][64]櫛田川の氾濫を鎮めるための祭事に使われたと推定している。
令和への改元
経緯「明仁から徳仁への皇位継承」も参照

2016年(平成28年)8月8日に第125代天皇が「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(国民に向けたビデオメッセージ)を表明し、これ以降、譲位に関する議論が活発化した。

2017年(平成29年)、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)」が、第3次安倍第2次改造内閣安倍晋三首相)により国会の常会(通常国会)に提出され、衆議院参議院の両院で原案の通りに可決されて6月9日に法律となり、同月16日に公布された[65]。同法第二条は「天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する。」と定め、施行期日は附則第一条で、公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日とされた[65][66][67]。同年12月1日に開催された皇室会議と同月8日の閣議を経て、2019年(平成31年)4月30日をもって天皇が退位することが正式に決定された。さらに12月13日、同法の施行期日を「平成31年4月30日」とする政令が公布され[68]、同法の規定によって天皇が同日に退位し、第一皇子・皇太子徳仁親王が翌5月1日に即位するという日程が決まった。この皇位の継承を受けて、元号法(昭和54年法律第43号、本則第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。)の規定に基づき、5月1日に元号が改められる見込みとなった。一方で、新元号の発表は改元1か月前の4月1日になることが決まった。

2019年(平成31年)4月1日、元号法に基づき政府は平成に代わる新しい元号を「令和」(読み方:「れいわ」)と発表した[69][70]。「昭和」から「平成」への改元時をほぼ踏襲して、最初の発表は午前11時41分から菅義偉内閣官房長官により行われ、続いて12時5分より安倍晋三首相による談話が発表された。同日、元号法(本則第1項:元号は、政令で定める。)に基づき、元号を改める政令(平成三十一年政令第百四十三号)が退位される天皇によって公布され、同日付の『官報』に掲載された[71][14]。「令和」の読み方である「れいわ」は同日の内閣告示で示された[72][14]

一世一元の制」が定められた明治以降を経て1979年(昭和54年)に施行された「元号法」の下で初めての事であり、皇室史上においても、江戸時代後期にあたる1817年5月7日(旧暦:文化14年3月22日)の光格天皇から仁孝天皇への譲位以来実に202年ぶりの先帝の退位に伴う皇位継承と改元が行われた。2019年(平成31年)4月30日、天皇退位特例法に基づく第125代天皇の退位の儀式である退位礼正殿の儀が行われた。そして、翌5月1日午前0時、第125代天皇は退位され上皇となるに伴い皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位し[73]、30年余り続いた平成時代は終わりを迎え、元号を改める政令が施行されて、令和に改元された。

「平成」の期間は計11,070日(30年と113日)となり、これは日本の元号では「昭和」(62年と14日)、「明治」(43年と281日)、「応永」(33年と313日)に次いで4番目の長さである(5番目は「延暦」の23年と251日)[注 8][74][75][76][注 9]
時代の流れ
時代概説
平成一桁代

1989年(平成元年)1月8日から1997年(平成9年)まで。「1990年代」も参照1989年(平成元年)に、三菱地所が約2200億円で買収したニューヨークロックフェラー・センター

日本国内では、昭和末期から不動産や証券への投機熱でバブル景気が起きており、日米貿易摩擦を受けて日米構造協議が始まった。

1990年(平成2年)には湾岸戦争が勃発し、小切手外交を批判された日本は初の自衛隊海外派遣を行うこととなった。翌年の1991年(平成3年)にはバブル経済が崩壊した。絶頂にあった当時の日本は米国からも脅威論がでるほどであったが、バブル崩壊により事態は急変する。日本の社会は失われた10年と呼ばれた不況の時代が続き、団塊ジュニア世代の学生は就職氷河期に見舞われた。


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