平成
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

^ 明仁が即位したのは昭和天皇崩御の時点である1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分であり、同日中に新天皇の署名により「元号を改める政令 (昭和六十四年政令第一号)」が公布され、新元号に改元されたのは同政令の附則の施行期日の定めに基づき、即位の翌日の1月8日午前0時である。
^ ただし、『ドキュメント新元号平成』(「暗黙のうちにリードされた新元号案」毎日新聞政治部(著)、角川書店、1989年5月発行、34ページ)では、次のように記述されている。
 結果的には、懇談会の多数意見、という理由で「平成」が新元号に決まっていったのだが、注目されるのは、懇談会の席上、アルファベット表記した場合に「修文」「正化」はSとなり、「昭和」と同じでまぎらわしいという指摘が議論の途中で出た点だ。
「明治」がM、「大正」がT、「昭和」がSということで、履歴書などの生年月日の欄が「M、T、S」と簡略化されて表記される例は多い。今回の改元にあたっても、コンピュータのプログラミング関係者を含め、Sで始まる案ははずすのが常識、という意見が根強くあっただけに、むしろ「修文」「正化」は初めからダミーで、「平成」が自動的に選ばれるよう仕組まれていたのではないか――という、見方も出ているのである。
〝アルファベット問題〟を持ち出した発言者が果たして誰だったのかは不明だが、「平成」に多数意見が集まる決め手の一つとなったのは間違いない。
  また、『平成改元』(「第一章 ドキュメント『昭和最後の日』」読売新聞政治部(著)、行研 出版局、1989年6月発行、23?24ページ)は、次のように記述されている。
 開会して二十分後、小渕は懇談会を中座、的場を伴って国会に向かった。衆参両院の正副議長の意見を聴取するためだ。
 小渕は、衆院正面玄関から入り、一時二十五分、両院の中央にある常任委員長室で待機する原、土屋ら四人に、やはり三案について説明。型通りの説明の後、小渕は雑談風にこう口にした。
「明治の頭文字はM、大正はT、昭和はS。次はこれらとダブらないようにという人もいるが、そんなにこだわらなくてもいいという人もいる。そのためにSで始まる二案も含めました」
 懇談会の模様を紹介しながら、こう語った。
 これは〝反語〟による高等な誘導でもあった。このため、正副議長の一人は「小渕は『平成』に決めている感じだった」との印象を後で語った。原や土屋は特に意見もさしはさまず、事前の極秘の根回しに従い、
「内閣のお決めになることだから、お任せする」
 と小渕にゲタを預けた。この間、十分強だった。
  次に、文藝春秋の記事(小渕恵三、「新元号「平成」誕生と――マスコミ攻防戦」(戦後五十年特別企画 戦後50大事件の目撃者)、p.217、『文藝春秋』1995年新年特別号。)は、次のように記述されている。
 元号案は「平成」「修文」「正化」の三つにしぼられたといわれているが、明治、大正、昭和のイニシャルM、T、Sとダブルのはよくないという意見などもあり、元号懇談会では一位が平成、二位が正化、三位が修文となった。
  一方で、『This is 読売』の記事(石原信雄、「20世紀の証言 「平成改元」綱渡りの舞台裏」、pp.230?231、『This is 読売』1997年12月号。)は、次のように記述している。
 ――絞り込む具体的な基準は。

漢字二字、明るいイメージ 石原 国民が使いやすいように、漢字二字で分かりやすく、新しい時代にふさわしい明るいイメージのものということでした。
 絶対の欠格条項は、過去に使用されたものであってはならないことです。これは日本だけでなく、過去の中国、朝鮮、安南といった元号を使ったことがある国のものは全部除く必要がありました。
 ――当時、竹下首相自身から「元号というのは、明治のM、大正のT、昭和のS、これと重なるとまずいんだよな。文書をつくるときに混乱するから」という話を聞きました。そういえば、平成のHは重なっていませんね。

論外の頭文字、ひたすら合議 石原 ローマ字のイニシャル説を言う人もいましたが、選考のときにそれは議論にならなかった。あくまで選考の基準で議論しました。最後は内容がふさわしいかどうか、それが最後に残ったものの一番重要な要素だったのです。
  しかし、『全記録・昭和の終った日』(「三つの案」NHK報道局(編)、日本放送出版協会、1989年3月発行、94ページ)では、次のように記述されている。
 小渕らが官邸に戻って竹下への報告を済ますと、午後一時五〇分からただちに全閣僚会議が始まった。誰もが新元号を間もなく耳にするとあって、さすがに緊張していた。小渕と的場が三つの元号案を説明し、懇談会で「平成」を推す意見がいちばん多かったことを報告する。
「平成以外の修文と正化は、イニシアルが昭和と同じSになって、行政事務には具合が悪い」という説明も加えられた。閣僚たちは「本命は平成」であることがすぐに分かった。ひと言も発言はなかった。
「特に発言もないようなので……」 小渕がしめくくり、あっさり「平成」が認められる。
  最後に、日本経済新聞(2017年1月22日)の記事は、次のように記述している。
 昭和天皇が崩御された89年1月7日に有識者懇談会を開き、「平成」「修文」「正化」の3つの元号案から選定した。会議に参加した当時の政府高官によると、8人の有識者のうち5人が平成を推した。修文(しゅうぶん)(Shubun)、正化(せいか)(Seika)は頭文字アルファベットが「S」のため、昭和(しょうわ)(Sh?wa)と区別しにくいなどの意見が上がり、最終的に頭文字が「H」の平成(へいせい)(Heisei)が選ばれた。
^ 君主が臣下の申し出を許すこと。「允可(インカ)」、「允許(インキョ)」、「聴許(チョウキョ)」とも呼ぶ。
^ 明治天皇が崩御して皇太子嘉仁親王が即位(大正天皇)した1912年7月30日は「明治45年」(1912年1月1日から7月30日まで)と「大正元年」(1912年7月30日から12月31日まで)が重なったのと同様に、大正天皇が崩御して皇太子摂政裕仁親王が即位(昭和天皇)した1926年12月25日は「大正15年」(1926年1月1日から12月25日まで)と「昭和元年」(1926年12月25日から同月31日まで)が重なることで、改元する際に元号が重複する日があった。
^ 目加田[20][21][22]が「修文」、宇野[23][24]が「正化」を提案したことを後に認めている。
^ 当時は公文書管理法が制定されていなかった。
^ ここでは、各元号の期間から次の元号に改められた日を除外し、日数は岩波書店広辞苑』第七版(電子版)の各元号の項にある改元日(西暦表記)によっている。
^ 期間の長い元号のランキングに、「平成」が掲載されていない書籍[77][78][79][80]では、4番目が「延暦」(23年と251日)で、5番目は「正平」(23年と208日)となっている。
^ 2010年(平成22年)参院選・比例区得票率2%以上の政党要件を満たしている。
^ 三浦展の造語
^ 昭和45年11月の伊勢新聞北勢版や中日新聞の三重県桑名市の昭和33年生まれの女子中学生自殺かの記事で自殺を寝た子を起こすなでクローズアップしなかった。
^ 2006年(平成18年)10月、久米宏は福岡いじめ自殺事件に対する回想コメントで「報道関係者としていじめ自殺報道でいじめや自殺が増加することも想定したが、男子中学生へのいじめがあまりにも酷かったのでニュースにしちゃいました」と発言している(「報道ステーション」や「たけしの日本教育白書」などテレビ番組での発言)。
^ <参考文献>『平成宗教20年史』(幻冬舎新書、2008年(平成20年)、島田裕巳)- <書籍要約>平成元年、週刊誌が坂本弁護士事件を報道して糾弾を開始しオウム真理教はにわかに注目を集める。その後オウムは一連の騒動を起こし、その間、幸福の科学も台頭、宗教は社会の重大な関心事となり、ついに平成7年、地下鉄サリン事件を迎える。一方、平成5年、万年野党だった公明党が連立政権に参加、11年以後、与党として君臨し、ついに日本は新宗教団体が政治権力を行使する国となった。オウム、創価学会以外にもさまざまな新宗教やスピリチュアル・ブームに沸いた現代日本人の宗教観をあぶり出す ―
^ 1970年生まれ以前の世代の短大卒のステータスは、1980年生まれ以降の世代に比べると高かった。
^ 競艇でも以前は「高松宮杯」という名を使っていたが、1987年(昭和62年)2月以降から競輪や中央競馬よりも早く高松宮記念 (競馬)に名称を変更していた。参考: ⇒「高松宮殿下と住之江」(日本財団電子図書館)

出典^ クローズアップ2017:2019年皇太子さま即位 代替わり、新しい形 新元号、幅広く議論も - 毎日新聞 - ウェイバックマシン(2017年4月22日アーカイブ分)
^ a b “平成の次は? 新元号を探る”. NHK NEWS WEB. 日本放送協会 (2018年2月7日). 2022年3月13日閲覧。
^ “昭和天皇の逝去4年半前、政府極秘に人選 元号考案 候補に井上靖氏ら”. 東京新聞 (2019年8月11日). 2022年3月13日閲覧。
^ “元号懇候補 司馬遼太郎氏ら 昭和59年 政府が有識者21人選定”. 東京新聞 (2019年8月18日). 2022年3月13日閲覧。
^ a b 「 ⇒「平成」選定の背景 頭文字 昭和と異なる「H」に」『日本経済新聞』、2017年1月22日、14面。2022年3月26日閲覧。
^ 所功「第五章 元号「平成」の成立」『日本年号史大事典[普及版]』所功(編著)久禮旦雄ほか(執筆)、雄山閣、2017年1月20日発行、p.106。ISBN 978-4-639-02436-1
^ 的場順三、「平成元年 新元号「平成」決定までの舞台裏」(私は見た! 平成29大事件の目撃者)、p.242、『文藝春秋』2018年2月号。
[『文藝春秋特別編集 平成を読み解く51の事件 1989?2018』(文春ムック、文藝春秋、2018年8月刊)に再録。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:570 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef