「車庫入れ」前半は車庫入れ。前年の仕返しとばかりに、日本テレビ「スーパーJOCKEY」生出演から河田町フジテレビに戻ってくるたけしの車(黒いロングボディのセンチュリーと伝えられていた)にブロックをぶつけようと待ち構えるさんまの前に現れたのは、助六姿で自転車に乗ってやって来たたけし。あ然とするさんまを尻目にさんまのレンジローバーに尺八を叩きつけ、自転車をぶつけるたけし。結局この年もさんまの車はボロボロになってしまった。逸見の仕切りでBIG3の小中高時代を振り返るはずだったが、最初は前半「車庫入れ」を振り返るトーク。タモリ「自転車をぶつけた程度では保険は降りないよ」、たけし「あそこで止めたら「意気地なし!」と言われる」、さんま「自転車が入ってきた時、チャップリンの映画かな?と思った」。続いて本題に入り、それぞれの小中高時代を秘蔵写真等で振り返る。
「タモリ・たけし・さんまの小中高時代」
タモリ:学級委員をクビになる(小学校)、片思いの人現る(中学校)、長崎までヒッチハイク(高校)
たけし:「?だった」だらけの卒業文集の文体を、さんまが「ダッタマン」と呼んでからかった(小学校)、坊主にされる(中学校)、教頭先生を5円玉で引っ掛ける(高校)
さんま:ムササビを捕まえる(小学校。以前からデタラメ説が唱えられていたが、証拠写真提出)、相撲部で準優勝(中学校。当該記事をスタッフが奈良まで調べに行ったがなかった)、失恋。リレー事件(高校)
締めは「(話の流れから)性格は変わるってことですね」という逸見の発言に対し、三人が「変わったわけじゃないと思うなぁ」「いや、性格はかわらんでしょ」と発言[注釈 2]。
1993年 『平成教育テレビ「タモリ・たけし・さんま ビッグ3恒例車庫入れ大会」』
表向きは、タモリ・たけし・さんまの3人に関するクイズを3人が解き、一番の得点の低い人が車庫入れをする形式ではあった。しかし、実際はタモリ・たけしが有利になるルールで、タモリが30点、たけしが60点で、さんまだけ得点が入らない理不尽なものであった。クイズ終了後に、逸見から「(さんまさんは)逆転不能でしょう」と言われた。
クイズでは、さんまの曲「ウイスキー・コーク」(オリジナルは矢沢永吉)も頻繁にかかった。また前年のたけしの「ダッタマン」もクイズとなって登場していた。
さんまの愛車レンジローバーのボンネットとバンパーが駐車場内で外され、雨ざらしになっていた。結局、篠原のオブジェ作品になった。何度か逸見が「車庫入れしましょう!」と発言したが、実際は行われなかった。
なおこのコーナーが、BIG3と逸見が共演する最後の放送となった(逸見が同年12月に死去したため)。
1994年『平成夏休みバラエティー「ビッグ3ホールインワンチャレンジ」』
この年はBIG3枠の司会進行は、亡くなった逸見に代わり川端健嗣アナが正月特番同様に担当。またこのコーナーのオープニングで川端アナに「来年はどうやって(総合司会を)逃げようかと、今から真剣に考えているたけしさんです。」と紹介されたたけしだが、結局翌年も逃げられず司会をすることになる。
ホールインワンチャレンジは、当時の河田町本社玄関前の駐車場に67.5ヤードの特設ショートホールコースを設けた。優勝商品には箪笥と着物、2位には軽トラック、3位には台車とまな板[注釈 3]を賭け、競った。平成夏休みバラエティ内の得点として50点を賭けた「BIG3クイズ」を実施するも、全員不正解で終わった。しかし、グリーン自体が、板のようなものに人工芝を貼り付けただけのため、ボールが大きくバウンドしてしまい、なかなかホールインワンには至らず苦戦。そのため、急遽マットが数枚設置され、最終的にはカップの穴を広げて対処した。その後、たけし・さんまがホールインワンに成功するも、タモリだけが取り残され、先にホールインワンに成功したたけしとさんまは、カップから外す度にタモリの顔に塗料を塗った。最終的にはタモリもホールインワンに成功した。
「ホールインワン対決」中、「今年はやらない」と聞かされていたさんまとは裏腹に、たけしがさんまの愛車レンジローバーをグリーン前に勝手に駐車。車外から出る際にも鍵も折られ、タモリやたけしがレンジローバーの車体に目掛けてボールが当てられ、車体が凹む目にあった。
BIG3としては、このコーナーを放送した直後の1994年8月にたけしがバイク事故を起こしたため、翌年の1995年7月の『超夢列島』放送まで約1年間休止となった[注釈 4]。
視聴者参加クイズ
夜明けの全国一斉模擬試験・教科編(1992年、1993年)
夜明けの全国一斉模擬試験・地方編(1994年)