平成教育テレビ
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1993年?青木一夫 / 堀田満之、佐藤五十一、大嶋隆、馬場直幸、金涌博行、白戸義之、加藤文也、大河真、三井登、大西幸二、和田千穂、池田昌隆、岡田正穂、島村勇、木村好信、和賀井隆

1994年?小林勇 / 堀田満之、佐藤五十一、大嶋隆、加藤文也、白戸義之、森田修、大河真、三井登、佐藤光雄、足谷明美、島村勇、藤井秀奇、和賀井隆


フジテレビ照明:澤田篤宏

フジテレビ美術:

1992年?永本允、水上啓光、山本修身、伊藤則緒、山形憲一 / 金子俊彦(アックス

1993年?石鍋紳一郎、山本修身、水上啓光、伊藤則緒、近藤研策、山形憲一 / 金子俊彦(アックス)、丸山覚(アックス)

1994年?永本允、山本修身、水上啓光、金子隆、伊藤則緒、山崎吉広、原野真理子


大道具:樋口雄一郎(ビッグ3コーナー 大道具の雄さん)ほか

衣裳:高野知子 ほか

メイク:アーツ、山田かつら

スタイリスト:佐藤ミサキ ほか

タイムキーパー:土田芳美、三田真奈美

制作デスク:栗田美奈子

企画編成 (平成教育委員会):鈴木哲夫、水口昌彦小川晋一、高橋松徳

VTR編集:大内一学(RVC)、石丸健一(RVC)、井戸清(ヴィジュアルベイ・たけしの平成ファンクラブ)、IMAGICA共同テレビビデオ編集センター、ARTPLAZA1000(1992年・カルトQ)

MA:松元祐二(RVC)、豊田浩(RVC)、林光伸(RVC)、石塚宇生(RVC)、IMAGICA、共同テレビビデオ編集センター

音響効果:有馬克己(東京サウンド企画)、川崎恵介(東京サウンド企画)、.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}?木(かぶらぎ)正志(東京サウンド企画)、OCBプロ、OKK(音響企画株式会社)、第一音響プロジェクト804-Legs佳夢音サウンド・デザイン・キュービック

技術協力:

1992年?ニューテレス八峯テレビ共同テレビ渋谷ビデオスタジオビデオスタッフ)、バスク、DELICIOUS、中部システム(TUBE・現 東京チューブ)、RVC、共立照明、東京サウンド企画(現 スカイウォーカー)、O.C.B、O.K.K、第一音響、プロジェクト80、4-Legs、佳夢音、FLTフジアール、SATT、フジミック、アックス、東新

1993年?ニューテレス、八峯テレビ、共同テレビ、DELICIOUS、TUBE、エイケイ、RVC、東京サウンド企画、O.C.B、O.K.K、プロジェクト80、FLT、ニッポン放送プロジェクト、SATT、フジミック、フジアール、IMAGICA、共同テレビビデオ編集センター

1994年?八峯テレビ、ニューテレス、共同テレビ、TUBE、エイケイ、RVC、東京サウンド企画、DELICIOUS、O.C.B、プロジェクト80、第一音響、O.K.K、サウンド・デザイン・キュービック、FLT、ニッポン放送プロジェクト、SATT、フジミック、フジアール、IMAGICA、共同テレビビデオ編集センター


制作協力:

1992年?4/g(フォーグラムビジュアルデパートメント)、MEN'S、メビウス、マンダラハウス、スペースエムワイ、共同テレビ、日能研、日本教育アカデミー、フォーチュンスープ

1993年?日能研、FCIニューヨーク、MEN'S、office"B"、Ajito、アックス、カセヤマ、DAIDEN、FNS倶楽部

1994年?日能研、日本教育アカデミー、FCIニューヨーク、地方競馬全国協会、グローバルスポーツ医学研究所、office"B"、Ajito、D3 Company、スペースエムワイ、FNS倶楽部


企画協力:オフィス北野三木プロダクション(1992年?1993年まで)

制作協力:イースト

制作著作:フジテレビ/フジネットワーク26社(1992年)、25社(1993年&1994年)

主なコーナー
BIG3
1992年 『平成教育テレビ「タモリ・たけし・さんまビッグ3世紀の教育スペシャル」』

「車庫入れ」前半は車庫入れ。前年の仕返しとばかりに、日本テレビ「スーパーJOCKEY」生出演から河田町フジテレビに戻ってくるたけしの車(黒いロングボディのセンチュリーと伝えられていた)にブロックをぶつけようと待ち構えるさんまの前に現れたのは、助六姿で自転車に乗ってやって来たたけし。あ然とするさんまを尻目にさんまのレンジローバーに尺八を叩きつけ、自転車をぶつけるたけし。結局この年もさんまの車はボロボロになってしまった。逸見の仕切りでBIG3の小中高時代を振り返るはずだったが、最初は前半「車庫入れ」を振り返るトーク。タモリ「自転車をぶつけた程度では保険は降りないよ」、たけし「あそこで止めたら「意気地なし!」と言われる」、さんま「自転車が入ってきた時、チャップリンの映画かな?と思った」。続いて本題に入り、それぞれの小中高時代を秘蔵写真等で振り返る。

「タモリ・たけし・さんまの小中高時代」

タモリ:学級委員をクビになる(小学校)、片思いの人現る(中学校)、長崎までヒッチハイク(高校)

たけし:「?だった」だらけの卒業文集の文体を、さんまが「ダッタマン」と呼んでからかった(小学校)、坊主にされる(中学校)、教頭先生を5円玉で引っ掛ける(高校)

さんま:ムササビを捕まえる(小学校。以前からデタラメ説が唱えられていたが、証拠写真提出)、相撲部で準優勝(中学校。当該記事をスタッフが奈良まで調べに行ったがなかった)、失恋。リレー事件(高校)
締めは「(話の流れから)性格は変わるってことですね」という逸見の発言に対し、三人が「変わったわけじゃないと思うなぁ」「いや、性格はかわらんでしょ」と発言[注釈 2]
1993年 『平成教育テレビ「タモリ・たけし・さんま ビッグ3恒例車庫入れ大会」』

表向きは、タモリ・たけし・さんまの3人に関するクイズを3人が解き、一番の得点の低い人が車庫入れをする形式ではあった。しかし、実際はタモリ・たけしが有利になるルールで、タモリが30点、たけしが60点で、さんまだけ得点が入らない理不尽なものであった。クイズ終了後に、逸見から「(さんまさんは)逆転不能でしょう」と言われた。

クイズでは、さんまの曲「ウイスキー・コーク」(オリジナルは
矢沢永吉)も頻繁にかかった。また前年のたけしの「ダッタマン」もクイズとなって登場していた。

さんまの愛車レンジローバーのボンネットとバンパーが駐車場内で外され、雨ざらしになっていた。結局、篠原のオブジェ作品になった。何度か逸見が「車庫入れしましょう!」と発言したが、実際は行われなかった。

なおこのコーナーが、BIG3と逸見が共演する最後の放送となった(逸見が同年12月に死去したため)。

1994年『平成夏休みバラエティー「ビッグ3ホールインワンチャレンジ」』

この年はBIG3枠の司会進行は、亡くなった逸見に代わり
川端健嗣アナが正月特番同様に担当。またこのコーナーのオープニングで川端アナに「来年はどうやって(総合司会を)逃げようかと、今から真剣に考えているたけしさんです。」と紹介されたたけしだが、結局翌年も逃げられず司会をすることになる。

ホールインワンチャレンジは、当時の河田町本社玄関前の駐車場に67.5ヤードの特設ショートホールコースを設けた。優勝商品には箪笥着物、2位には軽トラック、3位には台車まな板[注釈 3]を賭け、競った。平成夏休みバラエティ内の得点として50点を賭けた「BIG3クイズ」を実施するも、全員不正解で終わった。しかし、グリーン自体が、板のようなものに人工芝を貼り付けただけのため、ボールが大きくバウンドしてしまい、なかなかホールインワンには至らず苦戦。そのため、急遽マットが数枚設置され、最終的にはカップの穴を広げて対処した。その後、たけし・さんまがホールインワンに成功するも、タモリだけが取り残され、先にホールインワンに成功したたけしとさんまは、カップから外す度にタモリの顔に塗料を塗った。最終的にはタモリもホールインワンに成功した。

「ホールインワン対決」中、「今年はやらない」と聞かされていたさんまとは裏腹に、たけしがさんまの愛車レンジローバーをグリーン前に勝手に駐車。車外から出る際にも鍵も折られ、タモリやたけしがレンジローバーの車体に目掛けてボールが当てられ、車体が凹む目にあった。

BIG3としては、このコーナーを放送した直後の1994年8月にたけしがバイク事故を起こしたため、翌年の1995年7月の『超夢列島』放送まで約1年間休止となった[注釈 4]

視聴者参加クイズ

夜明けの全国一斉模擬試験・教科編(1992年、1993年)

夜明けの全国一斉模擬試験・地方編(1994年)


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