平城山丘陵
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一部にバッドランドがみられる[3]。丘陵内は小谷が樹枝状に形成され、河川は分水界が奈良市側に偏っており、丘陵が北へ傾斜していることから京都府側へ北流する[3]。第二次世界大戦後は一時米軍基地となったが、奈良ドリームランド開園後は住宅地化が進み、現在は平城・相楽ニュータウンが建設されている[7][8][4]。丘陵の西側は生駒山地の裾、東側は笠置山地の裾があり、山裾南には佐保川が西流する[5][2]

この丘陵は奈良盆地京都盆地に接し、古くは大和から京都へ行く際は、奈良時代は西の歌姫越、平安時代以降は東の般若寺越が使われ、ともに奈良坂とも呼ばれた。万葉集では小松、峰の黄葉、霧、黒木、鳥、児手柏などが題材として詠まれ、八雲御抄には大和の名所として、五代集歌枕には山城の名所として挙げられている[5][8][1]。また、丘陵内には古墳時代後期の古墳や奈良時代の瓦窯が、丘陵の南には佐紀盾列古墳群が残っている[7]
歴史上のナラの古綴

日本書紀・風土記 - 平城、儺羅、那羅、乃楽
[11]
日本書紀』崇神天皇10年9月条には「則ち精兵を率て、進みて那羅山に登りて軍す。時に官軍屯聚みて、草木をふみならす。因りてその山を号けて、那羅山と曰う。」と地名説話が書かれている。

万葉集 - 奈良、平、寧楽、名良、寧[11]

日本三代実録 - 奈良[11]

唐書 - 諾楽[11]

延喜式 - 那良[11]

遺跡

馬場南(文廻池)遺跡

赤ヶ平遺跡

岡田国遺跡

灯篭寺遺跡

片山遺跡

内田山遺跡・古墳群

瓦谷遺跡・古墳群・埴輪群

大畠遺跡

相楽山遺跡

木津城山遺跡

上人ヶ平遺跡・古墳群・埴輪窯跡群

白口遺跡

西山遺跡

弓田遺跡

上津遺跡

木津遺跡

古墳

瓦谷1号墳

西山塚古墳

椿井大塚山古墳

平尾城山古墳

ウワナベ古墳

コナベ古墳

石のカラト古墳

瓦窯

鹿背山瓦窯

中山瓦窯跡

瀬後谷瓦窯跡

山陵瓦窯跡

押熊瓦窯跡

乾谷瓦窯跡

歌姫西瓦窯跡

音如ヶ谷瓦窯跡

歌姫瓦窯跡

梅谷瓦窯跡

五領池東瓦窯跡

市坂瓦窯跡

伝統行事

現在も行われる行事

かつて行われた行事

榜示さらえ(奈良市、榜示改めとも)

2月15日に村の周辺に土を盛って炭を埋め、境界の設定をしてまわる
[12]。平城ニュータウン建設後は榜示さらえの必要がなくなり、以降行われていない[12]。榜示さらえが行われる地域では、明治時代、県道周辺のみ歌姫所有地で残りは佐紀の個人持ちが連なっていた歌姫領を、佐紀が自分達の領分と主張し、また山陵も東側だけ佐紀に囲まれていたため、山陵と佐紀との間で争いが起こった[12]。そこで歌姫は山陵と連合して佐紀と境界争いをし、大審院まで上訴した結果、歌姫・山陵側が勝訴[12]。その判決の出た2月15日を記念し、毎年2月15日には村中寄ってまわり、昼過ぎにまわり終えると氏神に赴き、その神前で判決書を朗読し、あと直会をするようになった[12]。同様のことは7月10日の中山の金比羅の日にもあり、村の若者らが土中に炭を埋めたあと杭を立てていた[12]
関連項目

日本の丘陵一覧

佐保山 - 平城山丘陵の一部

奈良市鴻ノ池運動公園

奈良市鴻ノ池陸上競技場

奈良市鴻ノ池球場

奈良市中央体育館


奈良ドリームランド


平城・相楽ニュータウン - 平城山丘陵を開発

相楽台

兜台


平城山駅 - 平城山丘陵が駅名の由来となっている。

平井康三郎 - 北見志保子が「草の実 昭和9年4月号」に掲載した短歌『磐之媛皇后御陵』の一部をもとに「平城山」を作曲。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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