平和
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軍縮・軍備管理による平和としては、国際連盟規約ワシントン海軍軍縮条約弾道弾迎撃ミサイル制限条約戦略兵器削減条約核拡散防止条約などがある[10]。こうした軍縮を行う国際機関としては、ジュネーブ軍縮会議が前身も含めれば1960年から活動を行っているものの、21世紀に入ってからの活動は停滞が続いている[17]

第一次世界大戦後、国際連盟規約で軍備縮小が定められ、1922年のワシントン海軍軍縮条約では列強各国の海軍艦船の制限が取り決められたものの、この割り当てに対して日本などでは強い不満が起きることとなり、のちに日本は1930年のロンドン海軍軍縮会議からも1936年に脱退し、1935年の第二次ロンドン海軍軍縮会議などの努力もあったものの、結局軍縮は失敗して第二次世界大戦へとつながっていくことになった[18]

第二次世界大戦後の軍備管理条約は、まず世界中に拡散してしまった核兵器の軍縮から始まった。1963年の部分的核実験禁止条約では地下核実験を除く核実験が禁止され、1970年に発行した核拡散防止条約ではアメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中国の5ヶ国以外の核保有を認めないことで核保有国の拡大にとりあえずの歯止めをかけた[19]。核実験に関しては、1996年に地下核実験も含む全ての核実験の禁止を定めた包括的核実験禁止条約が採択されたものの、一部国家において批准がなされておらず、条約は未発効のままとなっている[20]

また、1967年にラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)が調印された[21]のを皮切りに非核兵器地帯の設定が世界各地で進められ、1985年の南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)[22]、1995年の東南アジア非核兵器地帯条約(バンコク条約)[23]、1996年のアフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)[24]、そして2006年の中央アジア非核兵器地帯条約(セメイ条約)[25]と、相次いで非核兵器地帯が設定された。

冷戦における二大大国であるアメリカとソ連の間でも1969年に第一次戦略兵器制限交渉が開始され、1972年に調印されたのを皮切りに、第二次戦略兵器制限交渉(1979年)、中距離核戦力全廃条約(1987年)、第一次戦略兵器削減条約(1991年)と相次いで戦略兵器削減条約が締結された[26]。1990年にはヨーロッパ通常戦力条約が締結され、通常戦力の削減も行われた。1991年にソ連が崩壊した後もロシアとのあいだで第二次戦略兵器削減条約(1993年)が締結されたもののこれは発効しなかったが[26]、のちにモスクワ条約 (2002年)[27]第四次戦略兵器削減条約(2011年)が発効するなど核軍縮の努力は続けられた。

各国の主権の及ばない地域においては、1959年の南極条約において南極における一切の軍事行動が禁止され、1967年の宇宙条約において地球周回軌道や宇宙空間に大量破壊兵器を運ぶ物体を乗せること、および月など他天体における一切の軍事行動が禁止され、さらに1971年の海底核兵器禁止条約における大量破壊兵器の設置を禁じるなど、軍事行動の禁止・抑制が相次いで決定された[28]。ただし宇宙条約では宇宙空間における通常兵器の使用は禁じられておらず、宇宙における軍備管理の議論も停滞している[29]

化学兵器生物兵器に関しては、1925年のジュネーヴ議定書で使用が禁止されたあと、1975年の生物兵器禁止条約によって生物兵器の開発・生産・貯蔵等が全て禁止され[30]、次いで化学兵器の生産・貯蔵等も1993年の化学兵器禁止条約によって禁止された[31]

通常兵器に関しては、1980年の特定通常兵器使用禁止制限条約において地雷焼夷兵器の使用制限が取り決められ[32]、1997年の対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約(オタワ条約)において対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲等の全面禁止が定められ[33]、2008年のクラスター弾に関する条約ではクラスター爆弾の全面禁止が決定された[34]
戦争の違法化

戦争の違法化は国際連盟の設立を機に、1928年の不戦条約で戦争放棄に関する初の多国間条約が成立し、第二次世界大戦後には国際連合憲章の武力行使禁止原則(国際連合憲章第2条4項)に発展した[10]。国際連合憲章第2条第4項では「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定められている[35]。ただし、国連憲章51条によって、他国からの侵略に対する防衛は自衛権として明確に例外とされ、認められている。自国のみの自衛権だけではなく、ある国が侵略を受けた際に第三国が共同で被侵略国を防衛する集団的自衛権も、同条項にて明確に認められている[36]
経済国際主義

戦争は資源や食糧を求めて他国を侵略することで発生することから、資源の共同管理や自由貿易(資源・食糧を金銭で獲得できる制度)を実現すれば戦争はなくなるという考え方が経済国際主義による平和論である[10]。この説の起源は古く、1910年にはイギリスのラルフ・ノーマン・エンジェルが当時の貿易統合の高まりを見て、経済緊密化による戦争抑制を唱えた[37]ものの、その4年後の1914年には第一次世界大戦が勃発した。やがて21世紀に入ると、エリック・ガーツキーが商業的平和論(英語版)を唱え、貿易の依存関係ではなく直接投資の拡大が平和をもたらすのに大きな効果があると論じたが、この論には反証も挙げられている[38]。この理論は一般論としても支持者が多く、例えばコラムニストトーマス・フリードマンは1996年に「ゴールデンアーチ理論」を提唱し、ゴールデンアーチ、すなわちマクドナルドが進出するほど中間層が成長した国どうしでは戦争は起きないと唱えた。この理論はいくつかの例外を含みつつもある程度持ちこたえていたものの、2022年のロシアのウクライナ侵攻によって、両国ともにマクドナルドが進出していたために完全に崩壊した[39]
相互信頼による平和論

戦争を偏見と民族差別に起因するものとみて相互信頼を構築することによって戦争が予防されると考える平和論である[10]


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