平和
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今日までの平和論は軍縮・軍備管理による平和、戦争違法化による平和、経済国際主義による平和、相互信頼による平和、集団安全保障による平和などに分類される[10]。このほかに20世紀末に民主主義による平和論が考えられるようになった[11]
勢力均衡

19世紀のヨーロッパにおいては、勢力均衡が大局的な平和に寄与すると考えられていた。これは当時のヨーロッパの大国がそれなりに釣り合いの取れた国力を有したことと、最有力国であるイギリスヨーロッパ大陸の覇権争いから距離を置き、バランサーとして振る舞うことで成立した。ただしこれで維持される平和は大国間のものにすぎず、ヨーロッパ外の勢力は次々と植民地化されていった。また19世紀後半に入ると勢力の均衡が崩れ、軍拡競争の果てに第一次世界大戦の勃発によって勢力均衡方式は破綻した[12]。ただしこの理論は第二次世界大戦後、アメリカ合衆国ソヴィエト連邦による冷戦の中で復活し、ハンス・モーゲンソウらの唱える現実主義は勢力均衡の重要性を論じた[13]。やがてケネス・ウォルツネオリアリズムを唱え、従来の勢力均衡理論に変更を加えたものの本質的なものではなく、2大勢力の間の勢力均衡こそが最も安定すると論じた[14]。ウォルツの理論は勢力均衡論に大きな影響を与え、突出した大国が覇権を握る状況が最も国際情勢が安定すると唱えるロバート・ギルピン覇権安定論[15]、均衡の対象は強国ではなく最も脅威とみなされる国家となると唱えるスティーヴン・ウォルト脅威均衡など[16]、さまざまな理論へと発展していった。
軍縮及び軍備管理

軍縮・軍備管理による平和としては、国際連盟規約ワシントン海軍軍縮条約弾道弾迎撃ミサイル制限条約戦略兵器削減条約核拡散防止条約などがある[10]。こうした軍縮を行う国際機関としては、ジュネーブ軍縮会議が前身も含めれば1960年から活動を行っているものの、21世紀に入ってからの活動は停滞が続いている[17]

第一次世界大戦後、国際連盟規約で軍備縮小が定められ、1922年のワシントン海軍軍縮条約では列強各国の海軍艦船の制限が取り決められたものの、この割り当てに対して日本などでは強い不満が起きることとなり、のちに日本は1930年のロンドン海軍軍縮会議からも1936年に脱退し、1935年の第二次ロンドン海軍軍縮会議などの努力もあったものの、結局軍縮は失敗して第二次世界大戦へとつながっていくことになった[18]

第二次世界大戦後の軍備管理条約は、まず世界中に拡散してしまった核兵器の軍縮から始まった。1963年の部分的核実験禁止条約では地下核実験を除く核実験が禁止され、1970年に発行した核拡散防止条約ではアメリカ・ソ連・イギリス・フランス・中国の5ヶ国以外の核保有を認めないことで核保有国の拡大にとりあえずの歯止めをかけた[19]。核実験に関しては、1996年に地下核実験も含む全ての核実験の禁止を定めた包括的核実験禁止条約が採択されたものの、一部国家において批准がなされておらず、条約は未発効のままとなっている[20]

また、1967年にラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)が調印された[21]のを皮切りに非核兵器地帯の設定が世界各地で進められ、1985年の南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)[22]、1995年の東南アジア非核兵器地帯条約(バンコク条約)[23]、1996年のアフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)[24]、そして2006年の中央アジア非核兵器地帯条約(セメイ条約)[25]と、相次いで非核兵器地帯が設定された。

冷戦における二大大国であるアメリカとソ連の間でも1969年に第一次戦略兵器制限交渉が開始され、1972年に調印されたのを皮切りに、第二次戦略兵器制限交渉(1979年)、中距離核戦力全廃条約(1987年)、第一次戦略兵器削減条約(1991年)と相次いで戦略兵器削減条約が締結された[26]。1990年にはヨーロッパ通常戦力条約が締結され、通常戦力の削減も行われた。1991年にソ連が崩壊した後もロシアとのあいだで第二次戦略兵器削減条約(1993年)が締結されたもののこれは発効しなかったが[26]、のちにモスクワ条約 (2002年)[27]第四次戦略兵器削減条約(2011年)が発効するなど核軍縮の努力は続けられた。

各国の主権の及ばない地域においては、1959年の南極条約において南極における一切の軍事行動が禁止され、1967年の宇宙条約において地球周回軌道や宇宙空間に大量破壊兵器を運ぶ物体を乗せること、および月など他天体における一切の軍事行動が禁止され、さらに1971年の海底核兵器禁止条約における大量破壊兵器の設置を禁じるなど、軍事行動の禁止・抑制が相次いで決定された[28]。ただし宇宙条約では宇宙空間における通常兵器の使用は禁じられておらず、宇宙における軍備管理の議論も停滞している[29]

化学兵器生物兵器に関しては、1925年のジュネーヴ議定書で使用が禁止されたあと、1975年の生物兵器禁止条約によって生物兵器の開発・生産・貯蔵等が全て禁止され[30]、次いで化学兵器の生産・貯蔵等も1993年の化学兵器禁止条約によって禁止された[31]

通常兵器に関しては、1980年の特定通常兵器使用禁止制限条約において地雷焼夷兵器の使用制限が取り決められ[32]、1997年の対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約(オタワ条約)において対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲等の全面禁止が定められ[33]、2008年のクラスター弾に関する条約ではクラスター爆弾の全面禁止が決定された[34]
戦争の違法化

戦争の違法化は国際連盟の設立を機に、1928年の不戦条約で戦争放棄に関する初の多国間条約が成立し、第二次世界大戦後には国際連合憲章の武力行使禁止原則(国際連合憲章第2条4項)に発展した[10]


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