国際連合は平和のために創設されたが、多くの問題を内包している。国連憲章にある集団安全保障は、冷戦における米ソの対立により機能不全に陥った[50]。国連憲章上に明文規定はないものの[51]、PKF(国連平和維持軍:Peace-Keeping Forces)を用いて、戦争に介入することで平和を積極的に創造する取組みも行っており、この活動に対して、1988年にはノーベル平和賞が贈られたものの、人材や資金の確保、その権限や任務内容において数多くの問題がある。
従来のPKOは停戦監視と兵力の引きはなしが主要任務であったが[52]、冷戦の終結後、1992年に当時のブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長は増加する地域紛争を抑制するための予防外交という概念を提唱し国際連合平和維持活動を大規模化・強化した。しかしこの試みはマケドニア共和国では成功したものの、ソマリア内戦(UNOSOM II)やボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(UNPROFOR)では紛争の抑止に失敗し、国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)でもルワンダ虐殺を阻止することはできなかった[53]。特にルワンダにおける平和維持活動は、国連の限界や平和維持活動の問題を浮上させることとなった。しかしその後もPKOの任務の拡大は続き、平和維持のみならず戦争によって荒廃した当該国の武装解除や新秩序構築までを視野に入れた、いわゆる平和構築が重視されるようになっている[54]。
国際連盟詳細は「国際連盟」を参照
国際連合の前に、第一次世界大戦後に世界初の集団安全保障体制を構築しようとした国際組織が国際連盟だった。連盟は、国際紛争が発生した場合は仲裁裁判や連盟理事会の審査などのいくつかの手続きによって両国の仲裁を行い、それでも戦争を行う国家には経済制裁などいくつかの制裁を行うことが出来たものの、軍事的な制裁機能が弱く、集団安全保障体制としては不十分なものであった[55]。結局この体制では平和を実現することはできず、1930年代以降世界各地で侵略戦争が続発し、第二次世界大戦へとつながっていくこととなった。 平和に貢献した人々のために、世界のさまざまな団体が各種平和賞を設立し、授与を行っている。1901年にはアルフレッド・ノーベルの遺志によってノーベル平和賞が設けられ、毎年12月10日にノルウェー・ノーベル委員会が授与を行う[56]。このほかにも、学生平和賞などさまざまな平和賞が存在する。 以下は、平和の記念物である。 名称位置組織意義画像
近代オリンピック詳細は「近代オリンピック」を参照
各種平和賞
記念物
日本の平和の鐘アメリカ合衆国・ニューヨーク国際連合World peace
Fountain of Time
Fredensborg Palaceデンマーク・Fredensborgフレデリク4世The peace between Denmark?Norway and Sweden, after Great Northern War which was signed July 3, 1720 on the site of the unfinished palace.
International Peace Gardenアメリカ合衆国・ノースダコタ州、カナダ・マニトバ州非営利組織Peace between the US and Canada, World peace
Peace Archサレー付近のアメリカ合衆国・カナダの国境非営利組織Built to honor the first 100 years of peace between Great Britain and the United States resulting from the signing of the Treaty of Ghent in 1814.
Statue of Europeブリュッセル欧州委員会Unity in Peace in Europe
ウォータートン・グレイシャー国際平和自然公園アメリカ合衆国・モンタナ州、カナダ・アルバータ州非営利組織World Peace
The Peace Domeアメリカ合衆国・ウィンディービル非営利組織Many minds working together toward a common ideal to create real and lasting transformation of consciousness on planet Earth. A place for people to come together to learn how to live peaceably.[57]
思想詳細は「平和主義」を参照
戦争や暴力によって紛争を解決せず、暴力的手段を用いずに平和を達成しようとする思想のことを平和主義と呼ぶ[58]。またこうした平和主義に基づき、世界各地で活発な平和運動が行われてきた。
平和学詳細は「平和学」を参照2022年の世界平和度指数[59](消極的平和指数とも呼ばれる[60])。緑が濃いほど平和、赤が濃いほど平和から遠いことを示す。
平和を達成するための科学的な研究は、平和研究、または平和学と呼ばれる。平和研究は国際関係論や政治学、経済学などさまざまな分野と関係が深く、学際性が非常に高い[61]。因果推論はあまりうまく機能せず、理解するにはシステム思考が求められる[62][63][64][65]。平和学は1924年にチェコスロバキアのプラハ大学で最初の講義が開講されたとされ、当初は国際制度や国際組織論を中心とした平和研究が行われていた[66]。その後、ルイス・フライ・リチャードソンやクインシー・ライト、ケネス・ボールディング、アナトール・ラパポートらによって理論化と体系化が進められた[67]。
この時期までの平和学は国家間の紛争防止のみを目的としていたが、1968年にインドのスガタ・ダスグプタ(Sugata Dasgupta)が戦争が起きていなくとも貧困や抑圧などによって平和とは到底言えない状況におかれている民衆が多数存在することを指摘し、これを「平和ならざる状態」と定義した[68]。さらに1969年にヨハン・ガルトゥングが貧困・抑圧・差別などを構造的暴力と定義し、ただ単に戦争が起こっていないだけの状態を消極的平和、構造的暴力がなく秩序や安全、民主主義や豊かさなどが保証された状態を積極的平和と定義した[69]。