平和
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

化学兵器生物兵器に関しては、1925年のジュネーヴ議定書で使用が禁止されたあと、1975年の生物兵器禁止条約によって生物兵器の開発・生産・貯蔵等が全て禁止され[30]、次いで化学兵器の生産・貯蔵等も1993年の化学兵器禁止条約によって禁止された[31]

通常兵器に関しては、1980年の特定通常兵器使用禁止制限条約において地雷焼夷兵器の使用制限が取り決められ[32]、1997年の対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約(オタワ条約)において対人地雷の使用、貯蔵、生産、移譲等の全面禁止が定められ[33]、2008年のクラスター弾に関する条約ではクラスター爆弾の全面禁止が決定された[34]
戦争の違法化

戦争の違法化は国際連盟の設立を機に、1928年の不戦条約で戦争放棄に関する初の多国間条約が成立し、第二次世界大戦後には国際連合憲章の武力行使禁止原則(国際連合憲章第2条4項)に発展した[10]。国際連合憲章第2条第4項では「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定められている[35]。ただし、国連憲章51条によって、他国からの侵略に対する防衛は自衛権として明確に例外とされ、認められている。自国のみの自衛権だけではなく、ある国が侵略を受けた際に第三国が共同で被侵略国を防衛する集団的自衛権も、同条項にて明確に認められている[36]
経済国際主義

戦争は資源や食糧を求めて他国を侵略することで発生することから、資源の共同管理や自由貿易(資源・食糧を金銭で獲得できる制度)を実現すれば戦争はなくなるという考え方が経済国際主義による平和論である[10]。この説の起源は古く、1910年にはイギリスのラルフ・ノーマン・エンジェルが当時の貿易統合の高まりを見て、経済緊密化による戦争抑制を唱えた[37]ものの、その4年後の1914年には第一次世界大戦が勃発した。やがて21世紀に入ると、エリック・ガーツキーが商業的平和論(英語版)を唱え、貿易の依存関係ではなく直接投資の拡大が平和をもたらすのに大きな効果があると論じたが、この論には反証も挙げられている[38]。この理論は一般論としても支持者が多く、例えばコラムニストトーマス・フリードマンは1996年に「ゴールデンアーチ理論」を提唱し、ゴールデンアーチ、すなわちマクドナルドが進出するほど中間層が成長した国どうしでは戦争は起きないと唱えた。この理論はいくつかの例外を含みつつもある程度持ちこたえていたものの、2022年のロシアのウクライナ侵攻によって、両国ともにマクドナルドが進出していたために完全に崩壊した[39]
相互信頼による平和論

戦争を偏見と民族差別に起因するものとみて相互信頼を構築することによって戦争が予防されると考える平和論である[10]。国際連盟の知的協力委員会及び第二次世界大戦後のユネスコの活動、国際親睦団体による国際交流や留学制度にその思想が引き継がれている[10]
集団安全保障

国際社会で集団的な制裁の仕組みを作ることによって戦争を防止しようとするもの[10]集団安全保障体制は、国際連盟で初めて制度実現し、その後、国際連合で整備拡充されて今日に引き継がれている[10]。集団的自衛権との違いは、集団的自衛権が基本的に同盟国間で適用されるのに対し、集団安全保障は国際社会全体での対応を念頭に置いている点である[40]
リベラリズム

リベラリズム的平和論としては、まず機能主義が現れ、協力が困難な安全保障問題ではなく、経済や文化など協力しやすい特定の分野において交流を深め、国際平和を確実なものにしようと説いた。これは19世紀後半以降の各種国際機関の設立をもたらした。次いで1950年代には新機能主義が登場し、特定分野での協力を深化させて政治的信頼を醸成し、政治統合によって国家主権を徐々に超国家機構へと移行させることで平和を構築しようと考えた。これは欧州経済共同体の設立などの成果をもたらしたが、1960年代には行き詰まった。1970年代にはジョセフ・ナイロバート・コヘイン相互依存論を唱え、複合的な国家間の相互依存関係が深まることで平和の可能性が高まると説いた[41]
民主的平和論

民主国家の間には相互に戦争を抑制する制度と文化が備わっていると考え、世界のすべての国を民主化させることにより平和を実現しようとするのが民主的平和論である[11]。この思想の起源は古く、すでに18世紀にはイマヌエル・カントがこれに類似した論を提唱していたが、1980年代に入るとマイケル・ドイルブルース・ラセットらがこれを立証し、民主的平和論を確立させた[42]。民主国家間での戦争が少ない理由については、民主主義国は内政において議会などにより平和的に紛争を解決する規範を持っており、それを相手国にも期待できるためという説[43]や、民主国家においては権力分立が確立しており、国民が選挙世論を通じて政府の暴走を止めることができるため、政府や政治家もそれを念頭に置いて平和的政策を採らざるを得ないという説[44]、また民主国家では政府の透明性が高く、相手国の情報がお互いに得やすいため相手の反応や限界が見極めやすいから[45]、民主国家が仮に参戦した場合は非常に継戦能力が高く危険なため[46]など、いくつかの説が存在する。

なお、成熟した民主国家間において戦争が起きにくいことにはほぼ合意が存在するものの、急激な民主化は必ずしも平和をもたらさない場合がある。これは、国内の政治情勢がまだ安定しておらず、先鋭化した国内対立が軍事的対立へとつながる場合があるためである[47]。また、独裁国家における戦争可能性はその政治システムによって左右され、文民による集団指導体制では武力行使の可能性は低くほぼ民主国家と同じ程度であるのに対し、独裁者一個人に依拠する体制では戦争に及ぶ可能性が高まると考えられている[48]。厳格なジャーナル「政治交流」によると、民主政治と平和の関係は誤りであり、実際には民主国家間の貿易や同盟の拡大が平和の原動力であるという意見もある。同誌によれば、権威主義が復活しつつある世界において、民主主義と平和の関係を真に理解する必要性が迫られているとのことである[49]
運動・活動
国際連合「国際連合平和維持活動の一覧」も参照国連平和維持活動の実施状況を示した地図
      現在平和維持活動を実施中の国・地域
      過去に平和維持活動が実施された国・地域

国際連合は平和のために創設されたが、多くの問題を内包している。国連憲章にある集団安全保障は、冷戦における米ソの対立により機能不全に陥った[50]。国連憲章上に明文規定はないものの[51]、PKF(国連平和維持軍:Peace-Keeping Forces)を用いて、戦争に介入することで平和を積極的に創造する取組みも行っており、この活動に対して、1988年にはノーベル平和賞が贈られたものの、人材や資金の確保、その権限や任務内容において数多くの問題がある。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:79 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef